松下米の夜明け前。

静岡県藤枝市に松下米を栽培することで知られる松下明弘氏の圃場はある。松下氏は同じ藤枝市で喜久醉を醸造する青島酒造に山田錦という酒造好適米を供給している有機農業家としての顔を持つことでも知られている。主に有機農法で山田錦とコシヒカリ、カミアカリの3品種を栽培している。田圃の面積は10町分。100反という面積を1人で耕している。山田錦に関しては静岡県初の栽培農家で、日本初の山田錦の無農薬有機栽培に成功、カミアカリは松下氏が個人で品種登録を成し遂げた。名前の「明」の字をとってカミアカリと命名した。1996年、松下氏は33歳だった頃に専業農家になった。その年に、以前から美味しいと感じていた喜久醉の醸造元である青島酒造の社長(先代)に「山田錦について教えて欲しい。」と事前の約束もなしに、突撃で酒蔵へ押し掛けた。社長はいきなり訪問したのにも関わらず会ってくれたそうだ。そこで盛り上がった話題は山田錦の話ではなく、意外にもアフリカの話だった。社長はアフリカ旅行に行ってきたばかりで、松下氏自身も24歳からの2年間、青年海外協力隊の農業指導員としてエチオピアに渡った経験があり、会って早々に意気投合。松下氏自身のアフリカでの経験や価値観の変化は農業の考え方にも影響を及ぼしている。そして青島酒造との良い縁にも恵まれ、その年から山田錦を自らで栽培し「喜久醉 松下米」を発売。用意していた1000本は1ヵ月で完売した。「喜久醉 松下米」がキッカケとなり酒蔵の雰囲気は変わり、廃業を考えていた社長(先代)は息子で現社長の青島孝氏がちょうどその年に、ニューヨークでの金融の仕事を辞職し家業を継ぐ決意をしたことも重なり、酒蔵の事業を存続させることにした。この出来事を機に松下氏と青島氏はお互いの分野で努力を重ねた結果、後に静岡を代表する銘柄へと喜久醉は飛躍していった。

松下氏が栽培する山田錦。

松下米の流儀

松下氏が栽培する米の品種は研究用の稲も含めると、200品種に及ぶ。

松下氏は高品質の米を栽培する為に独自の農法で栽培を手掛ける。風の影響での倒伏を防ぐ対策として、従来より遅い6月中旬に田植えを行う事で背丈の低い山田錦を栽培したり、あえて硬い土壌で山田錦を栽培することで、高密度の根を土壌に張り巡らさせるという栽培方法をとることで、丈夫な稲を栽培する。松下氏は出荷用以外でも、200品種の稲を育て、日々、稲の特性について研究している。松下氏はこれを趣味と呼んでおり、大の「稲コレクター」「稲マニア」としても業界で知られている。他にも雑草の発芽を抑える為に乳酸を含んだ肥料を開発したり、除草対策の研究にも余念がない。雑草の特性を見極め、適切に対策を施した圃場には除草剤不使用にも関わらず、田植えから収穫まで一切雑草が生えないから驚きだ。間違いなく、松下氏は未来型の農業を現在の世界で体現する農業イノベーターだ。農業の閑散期にあたる冬になると「喜久醉」を醸造する青島酒造の手伝いをする。松下氏はそこでの発見を来年の作付けに活かすことも大切にしているそうだ。

松下氏の研究用の圃場。一列ずつ異なる品種が並ぶ。

地元の人も全国の日本酒愛飲家も好む、喜久醉。

喜久醉を醸造する静岡県藤枝市の青島酒造と人気の高い喜久醉の特別本醸造。

品の良い香りと柔らかな口当たりが特徴的な喜久醉を醸造する静岡県藤枝市の青島酒造は仕込水に大井川水系南アルプス伏流水を使用する。この水を使うと、酒造りでは発酵が穏やかに起こり、まろやかで優しい味わいになるという特徴がある。

現在、青島酒造から発売される「喜久醉 」の銘柄は以前までは「菊水」だった。

神秘的な光景を映し出す白藤の滝。

白藤の滝の周辺には冷涼な空気が流れる。

静岡県藤枝市には7種の滝が点在する滝の観光名所があることで知られている。白藤の滝は高さが約33m、幅約3mで七滝の中で、最も高い滝。他にも大滝、井の滝、弥助の滝、雨乞いの滝、観音滝、行者の滝がある。白藤の滝という名前は白い長藤の木があり、5月頃になると白い藤の花が咲き誇り、神秘的で雄大な滝と藤の花が幻想的な光景を映し出す。大滝は、白藤の滝のさらに上流の位置にあり、滝の間には天狗平と呼ばれる伝説の丘が広がっている。

お盆頃になると可憐に飛ぶハグロトンボ。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡