今、進化を遂げ注目を集める銘酒が福島県天栄村にある。天栄村は福島県中通りに位置し、古くから会津と中通りを結ぶ交通の要衝として栄えた村で知られ、1955年の地区合併の際に中央に聳える天栄山から村名が採られたそうだ。高齢化と過疎化が急速に進む人口約5000人の長閑な村で若き松崎祐行杜氏が中心となり、20代の蔵人達が真剣な表情で酒を醸している。現在、チーム廣戸川の平均年齢は20代。蔵人は東京からの移住者が多く、松崎杜氏の穏やかな人柄と仕事に対する姿勢に惹かれて松崎酒造の蔵人になることを決めたそうだ。

松崎酒造の名刺代わりの一献で、松崎杜氏が魂を込めて醸した「廣戸川 特別純米酒」は出品数世界最多、世界一美味しい日本酒が決まるSAKECOMPETITION2016の純米酒部門で金賞を受賞するという快挙を成し遂げた。福島県の地酒業界に新たなスターが誕生することを予感させる瞬間だった。また、福島の日本酒は全国新酒鑑評会においても8連覇の快挙を成し遂げるなど、実力派揃い福島県の酒蔵。まさに群雄割拠の銘酒戦国時代。そこで若き醸造家が旋風を巻き起こし、世間から注目されるようになるのはそう容易なことではない。そもそも日本酒業界は衰退産業というイメージが強く、数多くの酒蔵が経営難や後継者不足を理由にその長い歴史に幕を閉じ、姿を消していく。そんななか松崎酒造は東日本大震災で被災した2011年から現在に至るまでの間に製造石数も着々と増石し、必要な醸造設備も毎年計画的に取り揃えてきた。衰退産業でここまで右肩上がりの成長を遂げている酒蔵は多くはなく、松崎杜氏はまさに日本酒業界のシンデレラボーイのような福島のホープなのだ。

他にも松崎杜氏の醸造に対する哲学にも確固たる信念を感じられる。近年の若き蔵元達の醸造に対する傾向や哲学は時代の潮流を上手く読み解き、その蔵の歴史からストーリーを紡いでいくことを軸に据え、ブランドを構築していく傾向がある。蔵元自身が納得できるような酒質をアップデートさせながら酒造りを追求していくという価値観を大切にしている。消費者には変わることを楽しんでもらう傾向も強い。一方で、松崎杜氏はその時代が求める福島酒を徹底的に追及していくイメージで、日本酒ファンの「福島県の地酒はこうあるべきだ。」という難しい要求にも応えながら、自身の理想の味わいへと近づけていく。これは福島県の酒蔵の発展に大きく貢献したといわれる福島県ハイテクプラザ(他県では工業試験場などと称される)の鈴木賢二先生が考案した「吟醸酒製造マニュアル」の影響が間違いなく大きい。松崎杜氏自身も2008年入校の17期生で生粋の鈴木チルドレンなのだ。だから松崎杜氏が酒造りで評価されることは鈴木先生に対する恩返しにも繋がると考えている。時代の流れは社会全体として速くなっていくなかで、変えないことも大切にしながら、世間から選ばれるものを醸していくことを信条におく。松崎杜氏が語っていた内容に「日々、酒造りと向き合いながら作業を繰り返し、リズムよくテンポよく出来た時に喜びを感じます。その作業のなかで改善できるポイントを冬の酒造りのあいだにいくつ発見できるかが最も重要なことです。」という内容が廣戸川の安定した酒質をものがたり、いつもは穏やかな表情で優しい語り口の松崎杜氏がこの筆者の質問に対しては真剣な表情でスパッと応えていたのが印象的だった。

ここまで聞くと、周りから見た松崎杜氏の人生は順風満帆で苦労を知らない優等生タイプにも見える。しかし、筆者が松崎杜氏に対して質問を重ねていくうちに決してそうではないことが分かった。むしろ挫折や苦難の連続だった。経歴について振り返ると、栃木の大学を卒業した後、福島県ハイテクプラザで醸造について学んだそうだ。同期には県内の酒蔵の天明や一歩己の蔵元がいた。大学受験では東京農業大学醸造学科を受験したそうだが不合格判定に泣かされ、仕方がなく栃木の大学で醸造とは全く関係のない分野を専攻したそうだ。また、家業を継ぐ前に醸造に対して研鑽を積もうという考えから茨城県水戸市の明利酒類への入社が決まっていたが、直前で交通事故に遭ってしまい入社は困難な状況になってしまった。その後、明利酒類への入社は断念し旧体制だった松崎酒造の前杜氏のもとで、蔵人として酒造りの基礎知識を身に着けたそうだ。

そんな矢先にまた悲劇が起きた。2011年3月11日に発生した東日本大震災で松崎酒造は被災し、心身の疲れも影響したのか前杜氏が病に倒れ、酒造りが困難な状況になってしまった。1892年に創業して以来、最大の危機が松崎酒造を襲った瞬間だった。そこで、父である蔵元から松崎氏は杜氏になるようにと告げられた。今までの人生、全てに対して自信を持てなかったが、家業の危機を目の当たりにし、魂に火が灯った瞬間だったと当時を振り返る。そこから地元・福島をはじめとする全国の酒販店に支えられながら杜氏に就任した2011年からの10年間で「廣戸川」は着実にステップアップを果たしてきた。昨年は銘柄の名前が小柴色や月白色など次第に配色が変わる、麗しい電飾が施された新蔵が新設された。来年には低温で醪を搾れる蔵を新設するそうだ。構想を丁寧に説明する松崎杜氏はずっと先の未来を見据えたような表情で輝かしく誇らしかった。酒造りにおいて、松崎杜氏の技術や哲学の体現を可能にする設備という最後のピースが埋まった時、廣戸川は未知なる境地へ達するだろう。いつの時代も絶え間なく流れてきた釈迦堂川のように、これからも廣戸川を醸し続けていく。(終)

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡