風が吹く町で瀬戸酒造店の酒造りは行われている。「風の吹くまま気の向くまま」にユニークで愛らしいデザインと言葉が施された酒を気分に合わせて選べることで人気を博している。蔵は神奈川県足柄上郡開成町に所在し、紫陽花が町の花としても知られている。6月上旬から中旬には「開成町あじさいまつり」が開催され、県内外から多くの観光客が訪れて賑わいを見せている。また、都内からの交通の便もよく、最近は若者の移住先としても注目を集める。蔵の東には酒匂川(さかわがわ)が流れており、二宮尊徳誕生の地としても語り継がれている。

瀬戸酒造店の創業は1865年で、その頃から5軒ほどの酒蔵が酒造りを行っており、発酵文化と関連深い土地柄であることが伺える。足柄平野の広がる開成町では水稲栽培が主要産業として確立されており、米どころとしても酒造りに向いている土地だ。蔵の北部には丹沢山塊が聳え立ち、蔵の地下には恩恵として非常に甘露で柔らかな水が脈々と流れている。そして、蔵の井戸水の水質調査からは富士山の水が含まれていることも分かった。神奈川県内の酒蔵は硬水で酒造りを行っていることが多いのだが、瀬戸酒造店では珍しく軟水での酒造りを行う。瀬戸酒造店は杜氏の引退や後継者不足を理由に、1980年から酒造りが中断していた。新体制での酒蔵運営が始まるまでの38年間は他の酒蔵から日本酒を購入し、瓶詰作業だけを行う桶買いで何とか酒蔵を繋いでいる状況であった。それ故、2017年に都内の総合建設コンサルタントのオリエンタルコンサルタンツが事業継承を行うまでの酒蔵は老朽化が進んでおり、醸造設備は満足に使えない状況であった。そのため、まず酒蔵を再生するにあたって、最も重要なのが水ということから新しく井戸を掘りなおした。地下80mの深層地下水を汲み上げて、酒造りの水として賄っている。

オリエンタルコンサルタンツと瀬戸酒造店の出会いは開成町の地方創生や「あしがり郷 瀬戸屋敷」の運営に携わるようになったことからで、当初は地域を盛り上げることを目的に瀬戸酒造店の前蔵元に「もう一度、酒造りを復活させてくれませんか?」と話を持ち掛けたところ、蔵元が高齢であることや後継者の不在、設備投資を行って負債を抱えるのは難しいとの返事が返ってきた。それに対して、オリエンタルコンサルタンツの社員(現蔵元)であった、森氏は「僕が酒蔵を運営したら面白いのではないか」という構想が思い浮かび、前蔵元に話しを持ち掛けると、前蔵元は話を理解してくれたそうだ。それから、森氏はオリエンタルコンサルタンツの社内ベンチャーという方向性で企画書を作成し、2年間も会社に対して説得を続けたそうだ。企画書を提出し続ける様子を見た上司からは「まだ続けているのか」と言われるほどの熱量だったという。毎回、計画を練り直し続けているうちに改善する点が無くなり、遂には断る理由もなくなったそうだ。そして、2018年に念願の酒蔵復活を果たすのだが、杜氏候補が全く見つからなかった。最後まで杜氏を見つけられなかった場合には酒造りを行った経験のない蔵元が知識のある専門家に指導を仰ぎながら杜氏の役割を担う可能性もあった。自らで両方の役割を担うのは流石に難しいと感じた蔵元は必死に杜氏を探した。神奈川県酒造組合に杜氏を探しているということを相談すると、「酒造りがひと段落する時期になると転職を考える杜氏もいるので、ハローワークに求人を出しておくと良いですよ」と助言され、藁にも縋る思いで求人を出した。すると、1人の候補者からの応募が入った。

その候補者は杜氏経験があり、実家のある長野から近い場所で仕事を探していたそうだ。複数の蔵で研鑽を積んでおり、その誠実な人柄からも杜氏として酒蔵再建のために加わってもらうことになった。オーソドックスな酒米である山田錦と雄町での酒造りをしたいという蔵元の意向に小林杜氏から「8種類の酒質を表現できる」と提案があり、この2つの酒米を使用した酒造りが基本方針となった。小林杜氏は溶解性の高い米を溶かしすぎずに発酵経過を辿れることに定評があり、非常にバランスの良い酒に仕上げられる技術を持ち合わせている。また、蒸米についても最新の注意を払いながら、「内潤外乾」な潤いがありつつも、サラッとした捌けの良い米に仕上げられる技術がある。代表銘柄の「セトイチ」は1本筋の通った王道な酒を目指す。

蔵の酒は全てビン火入れで安定感があり、バランスの良い酒が酵母や製法を変えながら醸されている。そして、「いつ・誰と・どのような雰囲気」で日本酒を楽しみたいかを考えながら銘柄を展開する。コンサルで培ったノウハウを活かしながら、クリエイティブチームと共に絵本作品のような日本酒へと昇華する。王道でありながらも愛おしさも忘れない。新規参入の酒蔵として威風堂々と、違った角度での眼差しを向けながら業界に新たな風を吹かしていく。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡

編集:宍戸涼太郎