九十九里浜とは源頼朝が太東岬から刑部岬の間を6町で1里として、1里ごとに矢を立てた結果、99本に達したことが地名の由来となっています。その九十九里浜から目と鼻の先の距離にあるのが1883年創業の「総乃寒菊」を醸す、寒菊銘醸になります。蔵は緑豊かな九十九里平野の穀倉地帯の中心に位置しており、敷地内の樹齢300年を誇る柿の木の根元から湧き出る清水と千葉の米「総の舞」や「ふさこがね」、「五百万石」を使用して、酒造りを行っています。寒菊銘醸という社名は冬菊になぞらえて「小粒だが一徹で、末永く良い酒を造る」という想いから「寒菊」と命名されました。
そして、ここ数年の酒質の向上は目覚ましく、酒販店からの絶大な評価を集めています。煌びやかなデザインを纏った銘酒は、透明さと果実感が溢れる味わいが魅力です。その日本酒は蔵を訪ねてきた人の声がヒントになったそうで、タンクの槽口から出る搾りたての日本酒を飲んだ人の感想が100%の確率で「美味しい」と答えている様子から「総乃寒菊 Discoveryシリーズ」を生み出しました。それは、コンセプトなどの難しい話などではなく、上槽から瓶詰までのお酒の状態を考え抜き、上槽したての日本酒が最も美味しい状態で提供できるのかだけに注力してきたそうです。タンクの槽口から出る搾りたての日本酒は普通酒であろうが、純米大吟醸であろうが、商品のスペックは関係なく美味しいと言っている様子を眺めながら、「正解は意外とシンプルで近くにあった」と実感したそうです。2016年頃の吟醸酒ブームの際に純米大吟醸が上槽される時に蔵元の佐瀬建一氏は直汲みで搾りたての日本酒を1本1本丁寧に人力での瓶詰めを行っており、200本程度を連続で詰めると腰が痛くなり作業を中断していたと当時の様子を振り返っていました。その当時は社員も少なく、他の社員に協力してもらう余裕もなかったので、1人で瓶詰作業を行っており、ラベルもイラストレーターで作成し、自らで貼っていたそうです。その忘れられない苦労から現在の寒菊銘醸の体制が築かれました。
酒蔵は田圃に囲まれており、米の収穫量が多い地域という特性を活用し、良質な原料米を選び抜いています。また、醸造工程では昔ながらの手仕事による蓋麴造りで厳正に管理された新築の麹室で経験豊富な蔵人が指先の感覚を頼りに製麹作業を行います。2016年からは火入なしの新鮮な酒造りに着手し、生酒の状態で日本酒を出荷しています。厳正な温度管理のできる冷蔵倉庫で瓶詰を行い、最適なタイミングで出荷することでフレッシュ感のある、できたての味わいを届けられるようになりました。また、寒菊銘醸では「心を満たす酒」を目標に掲げて、若手中心での酒造りを行っています。「伝統を尊重しながらも、チャレンジ精神とグローバルな視点で新たな感動を創る」ために、佐瀬建一氏は2020年、新型コロナウイルスが流行し、緊急事態宣言が発令されて日本酒の受注が激減している時期に老朽化していた旧型の設備から最新の設備に切り替える決断をしたそうです。当時の状況については新型コロナウイルスが流行し始めた、2020年3月、4月以降、緊急事態宣言により「酒は悪だ」という風潮が社会全体で蔓延して、そこで「寒菊銘醸は終わった」と倒産を覚悟していたそうです。その時に佐瀬氏は「小さな負債で倒産したら絶対に後悔する。また、現在在籍しているスタッフにも迷惑がかかる。」という感情になり、それならば、「自分が追求したい酒造り」に挑戦してから、倒産したほうが納得いくと考え、新蔵の建設を決意したそうだ。「線香花火ではなく、10号玉を盛大に打ち上げて散ろう」と少しやけにもなっていたと振り返ります。投資額は小さい規模の酒蔵では高額となり、緊急事態宣言で日本酒の注文が完全に止まっているなか、工事はものすごい速さで進んでいったそうです。社内では「社長が可笑しくなった」と噂が流れたが、「皆で乗り越えようぜ」という雰囲気になり、強い組織へと成長していきました。
千葉県は東北や北陸などと比較をしても温暖な土地で冬季に醪を冷やし、長期低温の環境下で発酵を完遂させるのは難しいといわれています。また、冷蔵の効いた酒蔵を新設することで四季醸造が可能となりました。設備環境の整った酒蔵では多く新鮮味の感じられる生酒を自信を持って届けられるようになりました。そして、現在の寒菊銘醸は佐瀬夫妻と6人の蔵人が中心となり酒造りを牽引しています。以前までは季節雇用の南部杜氏に酒造りを任せていましたが、杜氏制が崩壊しているなかで社員化に踏み切り、健全な労働環境を提供することが酒蔵の未来に繋がると考えて改革を行ったそうです。現在は四季醸造を行っていることもあり、年間雇用の蔵人だけで構成されています。
そして、杜氏の役割は航空機の整備士として働いていた柳下氏が担っています。28歳の若さで杜氏の役割を任され、蔵元の意見を忠実に再現することで寒菊銘醸を製造面から支えています。杜氏は「航空機は部品が一つでも不足していると離陸することが出来ないように醸造もひとつひとつの工程が重要で、ひとつでも失敗すると良い酒にはならない」という信念で醸しています。その信念で醸された酒は、寒菊銘醸が目標とする「心を満たす酒」として多くの人に感動を与えています。佐瀬夫妻と柳下杜氏、蔵人が一丸となり、寒菊銘醸は更なる飛躍を目指して邁進していきます。来年には新たな設備導入も予定されており、酒質向上への探求心に余念がありません。これからも寒菊銘醸は九十九里海岸に打ち寄せる力強い波のような勢いと眩しい太陽のような希望に溢れた酒を醸していきます。
文:宍戸涼太郎
写真:石井叡
編集:宍戸涼太郎