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奥羽自慢酒造の山形を代表する銘酒になることを目指して、二人三脚で零からの再出発を図る。

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奥羽自慢株式会社は佐藤仁左衛門酒造場が経営不振と後継者不足を理由に廃業を検討していたことから2014年に事業譲渡によって楯野川酒造の代表である佐藤淳平氏が酒造業を引き継いだ。

創業1724年の佐藤仁左衛門酒造場の誕生は、本家が神主であったことに由来して分家が御神酒を造ったことが酒蔵としての始まりだという。また、終戦後は大手酒造メーカーへの未納税移出を主体としながら、自社の代表銘柄である「奥羽自慢」を地域に向けて販売を行うことで厳しい時代を何とか乗り越えてきた。最盛期には製造数量1000石(1800ml×10000本)程度を製造していたのだが、1970年頃になると次第に他のアルコール飲料が市場に並ぶようになり、消費者の日本酒離れや嗜好の変化に影響されるかたちで製造数量は徐々に減少に転じていった。

さらには佐藤仁左衛門酒造場の経営と製造の舵取り役であった蔵元が2009年に体調を崩してしまった。楯野川酒造株式会社の代表である佐藤淳平氏は蔵元から今後の方向性について相談を受けていたことで、地元企業の同業者として長年続いてきた歴史ある酒蔵の伝統を継承する手助けを行いたいと金銭的な支援と酒造りに必要な人員を派遣することを検討していたという。

その翌年も経営状況は一向に改善されずに製造体制を立て直せる目途も立てられずにいたのだが、酒造りの中断期間が3年を経過すると清酒製造免許を返上しなければならないという税務署の取り決めがあることから、楯野川酒造の佐藤淳平社長は楯野川酒造の製造部の社員を引き連れて佐藤仁左衛門酒造場の酒造りを全面的に支援した。なんとか2012年11月には酒造りを再開することができ、清酒製造免許の返上も免れることができたことで胸をなでおろしていた矢先の2013年夏に佐藤仁左衛門酒造場の蔵元が闘病の末に急逝。そこで、蔵元の親族たちは事業支援を行ってくれた楯野川酒造の佐藤淳平社長に全面的な事業譲渡を行いたいという意向を受けて、この提案を受諾するかたちで佐藤社長は個人資金で奥羽自慢株式会社を設立。そして、2014年からは本格的に事業を引き継いだ。これにより創業1724年からの佐藤仁左衛門酒造場は楯野川酒造のグループ会社というかたちで伝統や歴史を紡ぎ、再始動することとなった。

そして時は経ち、2024年に楯野川酒造の佐藤淳平社長は2人の若手に奥羽自慢酒造の未来を託す決断を下した。今後は数年前に異業種から転職してきた執行役員の鈴木功多郎氏と製造部の石塚雅英氏が一定の経験を積んできたことが評価されたことで、奥羽自慢酒造の中心となって酒蔵を牽引していくそうだ。経営と醸造の仕事を二人三脚で慣習に囚われずに酒蔵を経営していく必要があると意気込みを語る。成長を阻む事業や作業の見直しを行い、いち早く効率化を図ることで軌道修正を行っていきたいと考える。鈴木功多郎氏は「今までは良くも悪くも慣習に囚われず自由に展開してきた部分があるので、これからは指針となるものを決定してから挑戦をしていきたい」と慎重な姿勢も崩さない。要するに、酒蔵の経営は革新と保守のバランスが重要であるということだ。奥羽自慢酒造の醸造工程や広げ過ぎた販路も再考しながら、トライ・アンド・エラーの精神で改革に挑戦する。

創業300周年という記念すべき節目を2024年に迎えた奥羽自慢酒造では地域の歴史や文化に対して理解を図ることで、山形県鶴岡市という地域を日本酒で表現していくことをテーマに掲げる。地域を誇りに思い、地域から誇られる酒。また、使命には楯野川酒造グループ会社としての目標である「高品質、革新、そして信頼を創造せよ。」という言葉も大切にしていく。

そして、事業譲渡によって1度は途絶えてしまった地域との繋がりを取り戻すためにも、鈴木功多郎さんは県内の飲食店や酒販店を精力的に巡ることで信頼関係を築いていく姿勢も崩さない。また、県内だけでなく東京にも積極的に足を運び、酒販店の店主と顔を突き合わせながら、本音で語り合い関係性を構築する。酒販店からの厳しい意見にも耳を傾けて納得するものがあれば素直に受け入れていくことで、さらなる酒質の向上を実現できると自信を覗かせる。そして10年以内には「山形の日本酒といえば奥羽自慢酒造と呼ばれるような存在になりたい」と語る。また「次の世代に胸を張って引き継げるような酒蔵にしていきたい」と希望を抱く。

これまで地域で暮らす人からは「奥羽自慢は1度酒造りを辞めてしまったから、これから君たちが造っていくのはもっと大変だよ」と言われたり、地域社会ならではの「外部の人間が酒蔵を運営している」といった周囲の冷ややかな目線を感じることもあった。どうしたら地域の方々に地域の一員として認めてもらえるのかを2人は真剣に考えた末に導き出した答えは、鶴岡の地域の歴史や文化を県外に発信できるような銘柄へと成長を遂げることで、地域で暮らす人たちに誇りを感じてもらえるようになろうという考えに至ったそうだ。

新しくリリースした銘柄は山形県鶴岡市の黒川地区にある春日神社の旧例祭で、別名「王祇祭」をモチーフとする。春日神社の神霊が宿る王祇祭を、その年の当屋の家に迎えて、夜を徹しての能の奉納でもてなすという文化から着想を得た銘柄のほかに、日本国内初の公式ブリッジバンジーは、1994年に山形県朝日村(現・鶴岡市)の「ふれあい橋」(梵字川・道の駅月山)上に開設されたものが最初であることから「バンジージャンプ」が日本酒のモチーフになっているもの、山形県鶴岡市の湯野浜海岸で1821年に酒田の俳人が記した文献に子供たちが板を持って波に乗る様子が記されていることから湯野浜は「サーフィン発祥の地」であることから「サーフィン」をモチーフにした銘柄が造られている。そして、「王祇祭」「バンジージャンプ」「サーフィン」から味わいを連想し、それを的確に表現できるように山形県の米や酵母(きょうかい6号酵母・きょうかい7号酵母・きょうかい10号酵母・きょうかい18号酵母)を慎重に選択して酒造りを行う。そして「今の鶴岡」を酒質を通して的確に映し出していくことを重要視したいという想いから、モダンでフレッシュタイプの無濾過生原酒をリリースする。2人は従来の日本酒のイメージとは一線を画す、これからの飲み手に刺さるようなものをつくりたいと意気込む。奥羽自慢株式会社のビジョンである「飲む誇り、取り扱う誇り、造る誇り、関わる全ての人の心を満たすブランドであれ」という高い壁をいかにして超えてくるのかに日本酒業界の注目は集まる。このミッションをクリアした時に、2人が尊敬してやまない楯野川酒造の佐藤淳平社長の背中が見えてくるのかもしれない。厳しい時代を乗り越えた暁には、奥羽自慢酒造の未来は300年の歴史のなかで最も輝かしいものとなるだろう。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡

編集:宍戸涼太郎

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