


大阪府交野市で「片野桜」を醸す、山野酒造株式会社。創業1868年の酒蔵は大阪・京都・奈良の境に位置する交野の郷に酒蔵を構える。ちなみに「かたの」の地名は諸説あるのだが、この肩野物部氏が開拓指導し、永く支配した地域を「かたの」と呼ぶようになったことに由来するといわれる。また、平安時代に歌を詠む人達の優雅な発想で、「人が行き交う野」、「生き物が行き交う野」という意味で「交野」という字が使われるようになったという一説もある。

そのほかにも交野には、「星」にまつわる地名や伝説があり、交野市の中心部を流れる天野川は稲作が始まった頃に、この地を称えて「天野」といい、川水を甘野川と言ったことが由来ともされる。それを平安時代に「交野が原」へ狩猟に訪れていた宮廷人が歌合せの際に、夜の大空に星の連なる「天の川」になぞらえたことから、この名が定着したと伝えられている。この天野川に架かる橋は「逢合橋」と呼ばれており、織姫を祀る機物神社、彦星を祀っていた中山観音寺跡の中間点にあることから七夕の夜に二人が出会っていたという伝説の場所である。山野酒造の銘柄「織姫の里」も地域の伝説から名付けられている。

山野酒造の歴史を辿ると、現在は生駒山系に連なる丘陵地帯で「片野桜」を醸す酒蔵は、江戸時代までは大阪府貝塚市(泉州)で酒造りを行っていたのだが、明治の初め頃に交野に移り住んできたそうである。当初は地域に馴染めず事業者として苦悩することもあったが、現在は5代目蔵元の山野久幸氏と長男で専務の真寛氏が中心となりながら、年間製造石数500石を生駒山渓の豊富な伏流水と関西で栽培された良質な酒米を使用しながら、濃淳な味わいで旨味を感じる酒を醸す。

とくに山野酒造は生酛系酒母である山廃造りに定評がある酒蔵として昔から知られており、「山田錦」や「雄町」といった酒米や蔵の前の自社田で栽培された米を用いて酒造りを行う。また、「9号酵母」や「6号酵母」などの酵母、高速道路の開通によって軟水と硬水が両方出るようになったという仕込み水を目指す酒質によって使い分けながら、市場の動向を伺いながらオールマイティーな日本酒を取り揃える。

山野酒造の理想像は「甘口の酒、辛口の酒、爽やかな酒、古酒」などがオールマイティーに揃うことを目指す。そうすることで必ず何かが誰かに刺さるというのが狙いだ。大阪の地酒とは何が最適であるのかを常に考えながら、積極的に商品を展開する。最近は純米酒を市場が望む傾向にあることから純米酒を全体の75%にまで増やしたそうである。

5代目蔵元は柔軟な姿勢を崩さず、時代に寄り添いながら臨機応変な経営で今日まで酒蔵を会長である父と経験豊富な濱田佳秀杜氏と共に守り抜いてきた。自分が酒蔵を継ごうとした動機についても最初の動機などは特になかったそうなのだが、ただ本気で挑むことだけが何よりも重要で酒蔵の未来を決定すると信じているそうだ。

近年は専務である山野真寛氏が「AI蔵Lab」を導入することで、AI技術を活用しながら、若い蔵人が杜氏の経験と勘を見える化することで優れた技術をいち早く継承し、スキルを磨けるように環境をと整えることにも注力している。最近の山野酒造ではAIと伝統が織りなす未来を追求し、手仕事とテクノロジーが響き合う新しい日本酒を生み出したことも話題となっている。大阪の酒蔵の強みは豊かな自然を残しながらも日本で2番目の大消費地が近隣にあることだ。

知ってもらえ機会は他県の酒蔵よりも圧倒的に多い。これからも「酔い、はんなり 片野桜」を、次の100年にむけてチャレンジ精神と柔軟な姿勢を崩さずに抜群のチームワークで時代を駆け抜ける。








文:宍戸涼太郎
写真:宍戸涼太郎
編集:宍戸涼太郎