「無窮天穏」を醸す、板倉酒造有限会社は島根県出雲市塩治町に所在します。また、「天穏」というのは「無窮天穏」という言葉から名付けられた銘柄です。無窮というのは困ることがないという意味になり、すなわち困窮しないということです。天穏というのは天が穏やかであるという意味です。その2つの言葉を合わせると「天が穏やかであれば困ることがないという」意味になり、自然に感謝して心に作用する酒を目指して名付けられました。
そして、出雲市小鏡町には佐香神社が鎮座しており、古代出雲に関する様々な情報が記されている「出雲国風土記」では神々が集結して煮炊きのできる調理場を建て、酒を造らせて180日間にわたり酒宴が開かれた後に去っていかれたという伝説が残されています。佐香という地名は神々が酒浸りになった状態が長く続いたことが由来しているそうです。そして、佐香神社には室町時代から続いている特殊神事「濁酒祭」があり、現在も年間1石(180ℓ)の醸造が特別に許可されており、10月13日に開催される秋季例祭では酒造りの成功を願って参拝客に濁酒が振舞われるという行事もあります。出雲杜氏などの酒造関係者たちも参加することもあり、境内は大いに賑わいをみせます。1871年創業の板倉酒造では出雲杜氏の小島達也杜氏が中心となり、清らかで穏やかな酒質を追求し酒造りを行っています。そして、人々の祈りやイトナミが込められた「出雲の御神酒」を目指すことこそが、「無窮天穏」の目指すべき姿だとも感じているそうです。なぜなら、酒の原料である米は神や自然、農家からの授かりものであるとし、酒はその延長線上にあるもので豊穣と感謝の祈りを捧げるために造られてきた歴史があるからです。日本人が大切にしてきた行事で選ばれる酒を目指しながら、消費者の心を穏やかにする御神酒こそが究極の酒であると考えています。
板倉酒造では、出雲杜氏が古くから受け継いできた技法である「山陰吟醸造り」による酒造りを行っています。山陰吟醸造りとは清らかな酒を実現する造りのことで、出雲杜氏流の吟醸造りのことです。なるべく米の良い部分である中心のところだけを酒にすることができるそうで、精米した酒米の外側を酒粕に、米の内側の心白を酒にする本来の吟醸酒の製法といわれています。精米歩合の数字以上に清らかな酒を生み出すそうです。板倉酒造では理想的な酒質を目指すために吟醸表記のできない精米歩合70%の純米酒でも吟醸造りを行っています。
そして、山陰吟醸造りは通常の酒造りと比べると、遥かに時間と手間がかかるそうです。大量生産や機械化、時間短縮をして造ることのできる普通酒と比べて、山陰吟醸造りは限定吸水、突きハゼ、長期低温発酵醪など人と技術と時間を要する手法だといわれています。
現在の板倉酒造で山陰吟醸造りを指揮する小島達也杜氏は山陰吟醸の名人といわれた長崎杜氏や坂本杜氏の師事を受けて、その技術と意思を大切に継承しています。杜氏に就任した年からは神に誇りをもって捧げられるような御神酒を造ろうという考え方で、味や香りを強調するよりかは清らかな酒を造ろうとの思想をもって酒造りと向き合っているそうです。もともと酒の役割は自然の恵みである米を、人の手でより洗練させることで感謝の祈りを捧げ、人は繋がりを感じました。その精神性を「無窮天穏」という銘柄で表現していきたいと考えています。歴代の出雲杜氏たちが目指した人々の祈りが込められている「御神酒」こそが究極の酒であり、現代社会の閉塞感から抜け出せずにいる人たちに穏やかさや繋がりを与えられる酒を造っていきます。
文:宍戸涼太郎
写真:石井叡
編集:宍戸涼太郎