会津坂下の地で福島県の日本酒に誇りを持ち、会津を代表する酒屋として有名な“五ノ井酒店”

会津旨酒の愛称で親しまれる酒屋“五ノ井酒店”

歴史とロマンの町「会津坂下」で酒屋を営む“五ノ井酒店”は約100年前に創業されました。日本酒専門店として多種多様な会津の地酒を数多く取り扱っており、3代目店主の五ノ井智彦氏は今や入手困難となった銘酒「飛露喜」(会津坂下町の廣木酒造)を地元の酒屋としてサポートしています。また会津産の米を使用し、地元の曙酒造と会津中央乳業と共同開発した、女性に大人気の「スノードロップ」をプロデュースするなど、酒屋としての枠組みを超えて活躍されています。

2017年には店舗の大きな改修工事を行い、店は3倍の広さに拡大しました。昔は小さなスペースを使って経営していた酒屋の奥行きを広くし冷蔵設備を完備する事で品質管理の向上に繋げました。特に温度管理が必要な日本酒は商品ごとに冷蔵スペースを分け、貯蔵庫の扉を一つ開ければ、-5℃まで温度が下がった次の貯蔵庫が出てくるなど、その日本酒にとって適切な品質管理をしているのが特徴的でした。

6年前の2013年には力水會という地元の酒屋と連携を組み会津清酒の振興団体を立ち上げました。会津の誇るべき地酒の魅力を日本全国へ普及させていきたいという思いで、会津若松の街なかで飲み歩く「会津清酒弾丸ツアー」 を年に1回開催するなど様々な取り組みをしています。

イベントでは会津若松市内の飲食店に会津の蔵元を招き、各店舗でそれぞれ個性のある日本酒とおつまみが提供され、蔵元から直接説明を聞きながら、会津の名店のおつまみと会津の日本酒を堪能することができます。

地に根付いた酒屋を目指すようになったキッカケ

五ノ井酒店の店主 五ノ井智彦氏

県外で酒屋に働きに出たのち、当初は全国の銘柄を販売していましたが、地元の酒蔵により目を向けるべきではと感じた五ノ井さんは、26歳の時に地元の酒を売っていこうと父親が経営していた実家の酒屋に戻り、日本酒の銘柄のシフトチェンジを行いました。

店内では福島県でも有数の酒蔵の日本酒を多く取り扱っています。

会津坂下の地でその地に根付いた酒造りをしている酒蔵を酒屋の立場からサポートし、本格的に地元の酒蔵の商品を取り扱う形の福島県の日本酒の魅力を伝えるお店にしていきたいという思いが強くなったからだといいます。

自身が35歳を迎えた頃には、全ての商品を県内の酒蔵に完全に切り替え、自分が取引をしたい日本酒の酒蔵のみにフォーカスしました。会津坂下を代表する地酒屋として、地域の観光資源でもある酒蔵の魅力を伝えれるような酒屋にシフトチェンジをしたことで酒蔵と酒屋で日本酒業界を高めていこうと深い付き合いでの仕事が非常に多くなったそうです。

また地域で酒屋を営んでいる立場として、会津坂下に直接来てもらえるための魅力づくりに徹底することで地域の特色を知ってもらうキッカケになる必要があると感じたといいます。その為にも、五ノ井酒店に来なくては味わえない、ここに来ないと出会うことができない、手に入れることができないという希少性が大事だと話してくれました。そして、わからない人にもわかりやすく丁寧に伝えることを徹底する酒屋のスタイルを築いていきたいと五ノ井さんは語ってくれました。

「会津旨酒」の名で酒屋を営むを理由

会津若松の酒蔵「宮泉酒造」と会津坂下の酒蔵「曙酒造」。

自分が生まれ育った会津坂下、そして会津の地酒の魅力を伝えていきたいことを目標にしていたからこそ、他県の日本酒を並べることは自分のコンセプトからは大きく外れてしまうことや会津の日本酒の魅力を発信したいからこそ、専門性を高めた方が良いと考えたそうです。

会津とはいえば、ここと全国に名が知れ渡るような発信をしていきたいといいます。

売れる酒、売れない酒ということだけではなく、自分の足で直接蔵元を巡り、造り手に会う中で、本当に発信したいと感じた酒蔵の日本酒を取り扱いたい。ゆかりのある会津坂下の日本酒が好きだったからこそ、コンセプトとして「会津旨酒」という言葉を紹介しながら名乗っているといいます。

現在では、会津を経て中通りなどの日本酒も積極的に取り扱い、福島を代表する生産者に寄り添える酒屋として、福島県内や会津の日本酒愛好家にも親しまれています。

酒屋として生産者と連携を取り、原料を発信する重要性

会津坂下の田園風景は米どころならではの広大な稲作地が特徴です。

五ノ井さんは地元で栽培されるお米の希少性や価値に目を向けてから酒蔵にも、どこの農家がどこの場所で作り上げたのかを意識しながら醸してもらう必要性があることや、酒屋としても農家と蔵元のどちらの思いも理解しながら意識して売ることの大切さ、買っていただくお客さんにもそれをわかりやすく伝えていくことが大切だと感じていると話してくれました。

生産者である蔵元や農家の方達が、土壌をよく知り、適地適作を行うことの重要性を理解することが今後の酒造りにおいて大切だと感じたからこそ、自分の土地を守る意識より、ここの土地にとって最善の方法でお米を作っていく農家や、酒蔵とも今後、手を取り合っていく必要があるといいます。それが結果として、その土地を守ることにも繋がるのではないかとも話されていました。

これらを通して日本酒という同じステージでも蔵元と酒屋では役割が大きく違い、日本酒の魅力を多くの人に伝えるためにも、誰かを目指すというよりかは、自分がこの土地で出来ることを探し、オリジナリティ溢れる酒屋を目指していきたいとも話してくれました。

オリジナルブランドを作った理由

五ノ井酒店のオリジナルブランド「央」のシリーズ。

十四代に憧れてつくったオリジナル日本酒の「央」は、五ノ井さんが会津坂下に帰ってきて2年目にデザインした日本酒です。十四代が当時、日本酒の概念を大きく変えた無濾過生原酒、あらばしり、中取り、せめという、日本酒本来の味わいを楽しめるバリエーションを提案し開拓したことで、日本酒業界に大きな衝撃を与えました。当時はバリエーションが少なかった日本酒業界を知っていた五ノ井さんは強い衝撃を受けたといいます。

五ノ井さんが20代の時、縁があり十四代の醸造元である高木酒造の高木顕統代表に出会い、お酒を酌み交わした際に、十四代のようなプロフェッショナルなブランドを自分でデザインし、酒屋としても日本酒で大きな感動を与えたいと強く思ったそうです。

同じ地区の曙酒造には、20年間オリジナルブランド「央」を醸してもらっています。

会津坂下の廣木酒造店の大人気シリーズ「飛露喜」が世に出始めた20数年前に、同じく五ノ井さんも曙酒造さんとの縁で醸してもらった特別ブランド「央」を世に出し地元の方たちに寄り添えるお酒を届けたい一心で、自分の酒屋限定での売り出しを始めました。

昔は、タンクの一部を借りて醸していた「央」も今では商標を取り、曙酒造と連携を取り、生産量も一種類あたり1800本(一升瓶換算)以上醸されているといいます。そのため、純米酒では15種類以上、大吟醸酒では4種類など、ブランドとしても確立され、多くの日本酒愛好家の手に渡っています。

五ノ井さんが考えるこれからの酒屋の在り方

自分たちにしかできない酒屋のスタイルの重要性を学ぶことができました。

今の酒屋のスタイルも良いが、これから少しずつ酒屋のスタイルは変化してくると五ノ井さんは語ってくれました。現代になって全国へのアクセスも交通整備により手軽になっていますが、目的があって地方の酒屋に来てくれている人は少ないからこそ、酒屋が地域の観光地になれるような人を呼び込む為のコンテンツ作りをしていく必要があるといいます。

そのためにもブランド志向で商品を取り揃えることではなく、この場所で仕事をする意味を各酒屋が考えて、その酒蔵との関係性やなぜこの蔵元の日本酒を並べる必要があるのかを多くの人に明確に伝えることが大切だと話してくれました。

また酒屋が地元の酒蔵と深い付き合いをして、酒屋が自分たちのオリジナルブランドをデザインするようなこだわりや想いの強い酒屋が増えてほしいといいます。またブランドを作り、流通させることも一つの拡大の方法だが、五ノ井さん自身は原料である米と会津の土地という2点を中心に自身が行っている取り組みを発信して日本酒の魅力を伝えていきたいといいます。

そして会津坂下を訪問してくれた人々にとって、その土地の原料や日本酒がその土地を魅力を発信する有効なツールとして、これから機能する必要もあるといいます。その実現を目指すために、今では酒屋、農業法人を経営している地元の知人とタッグを組み、田んぼの真ん中で土地の魅力を発信できるような観光施設も建設できるように、商業・情報・ふれあいの核である”タウンサイト”の形成の場をこれから築いていきたいと五ノ井さんは語ってくれました。

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