20代の若き女性杜氏が酒を醸す“吉田酒造”

永平寺テロワールを実現した酒蔵“吉田酒造”の歴史

吉田酒造の景観

創業1806年(文化3年)に永平寺の地に酒蔵を構えた“吉田酒造”は、御前峰の2702メートルを最高峰とする2500メートル級の山々が連なる連峰である霊峰白山の雪解け水や自社田による福井県産の山田錦で醸される「白龍」の銘柄を醸している酒蔵です。

5代目蔵元の吉田忠智氏が酒蔵を継いだ際、吉田酒造は福井県内で一番生産高が少ない酒蔵であり、東京農業大学などで醸造学を学んだ、6代目蔵元の吉田智彦氏が当主を務めていた際は1級酒、2級酒の製造しかしていない状況でした。

自分の日本酒をより多くの方に知ってもらうためには、美味しいレベルの高いお酒を醸し、お客様に喜んでもらった方が良いのではないかと考え、原料米は酒米の王様と呼ばれている「山田錦」の購入を検討しましたが、実績がまだ十分ではなかったこともあり、なかなか生産農家の方は取り合ってくれませんでした。

悩んでいた時に、精米を行ってくれているパールライス工場長の横井氏からアドバイスをもらい、「吉田さんのところには、多くの田んぼがあるからそこで山田錦を栽培したら、良質な山田錦が収穫できるのではないか」という提案にひらめきを感じたそうです。

自社田では福井県産の山田錦を栽培

それからは米作りに恵まれた永平寺町の大自然で化学肥料を一切使わず、農薬もできる限り使わないこだわりの山田錦を自らで栽培し、その米で米の味が生きている旨い酒を造ることを決心し、多くの飲み手が喜んでくれる日本酒を醸したいという熱い想いで、米作りや酒造りに取り組んだといいます。

現在では生産量ではなく質にこだわりを持ち、永平寺町の風土を生かした美味しい日本酒を造るために、麹は全量手造り、米洗いも限定吸水、仕込みタンクごとの個性を大切に米と水の力を最大限に生かす“永平寺テロワール”による明日への力水となる、濃醇できれいなお酒を目指し白龍を醸しています。

“22歳で蔵人、その2年後には杜氏に”女性杜氏吉田真子氏に迫る

吉田酒造現杜氏の吉田真子氏(写真右)

吉田真子氏は6代目蔵元の吉田智彦氏の次女として生まれ、2015年に関西大学を卒業直後に父が体調を崩し、母である現在、蔵元の吉田由香里氏から「幼い頃から両親が蔵で働く様子を見てきた、全ては知らなくても想い入れの強い娘の力が吉田酒造にとって絶対に必要だから蔵人として手伝って欲しい」という要望があり、その年から実家に戻り、吉田酒造に蔵人として手伝い始めたといいます。

実家が酒蔵とはいえ、昔から全く酒造りには興味がなく、実家である酒蔵にも戻るつもりはなかったそうです。しかし、父の体調が優れなかったことや母の要望に応えたいという優しい想いで、1年目から全く経験のない酒造りを始めました。

蔵人として働き始め、醸造の知識も技術もある程度つき始めてきた約8か月後の12月に父である吉田智彦氏が54歳という若さで逝去し、母である由香里氏が蔵元になりました。ここでより一層、父の為にも最高の“白龍”を醸したいという想いが強くなったそうです。

その翌年の2016年(平成28年)には杜氏が腰を痛めてしまい、酒造りの繁忙期を乗り越えるために酒造りを終えるまでの約2か月の間、当時は蔵人であった吉田真子氏が代理で杜氏を務めました。酒造りを終えた4月に吉田酒造の今後の経営方針を家族で話し合った結果、母である由香里氏に「造りも経験し、蔵の方針をよく理解してくれている娘に杜氏を任せたい」という話をしたそうです。

不安を抱えていても仕方がない、家族みんなで協力し、吉田酒造の日本酒を多くの方に飲んでもらいたいと覚悟を決め、真子氏は醸造学を深め、次の年の仕込みに生かす為にも2016年5月から広島県にある酒類総合研究所で泊まり込みで研修をしました。

また翌年の5月から三重県から北海道上川郡上川町に移転した「上川大雪酒造」の試験醸造を手伝い、岩手県や群馬県、石川県などの蔵で経験を重ね、全国の日本酒ファンを虜にしていた名杜氏の川端慎治氏の直接指導を受けることになりました。

醸造の深みを学ぶことの面白さを学び、2か月間の試験醸造を終えた2017年の7月に川端慎治杜氏から「自分が造りたいと思うお酒を、自分がベストだと思うやり方で酒造りをしていくと良い」という言葉をもらい、酒造りがスタートする10月を前に吉田酒造の杜氏として就任することになりました。同年の6月からは姉の吉田祥子氏と夫の吉田大貴氏が蔵に加わり、祥子氏は主に営業担当を務め、大貴氏は製造責任者を務めています。

10月から酒造りを開始したものの、人出不足でもあった為、今は亡き父の吉田智彦氏からの関係があった契約農家の方たちが米の収穫を終えた後に、農家の方たちにも蔵人としてしばらく加わってもらったといいます。

また、今までは酒造りの時期だけ杜氏を雇う方針をとっていた酒蔵でもあったため、娘が杜氏を務める年間雇用の杜氏が誕生したのはとても嬉しく、吉田酒造では初の試みだったそうです。24歳という若さで吉田酒造の看板を背負い「飲み手が喜んでくれる日本酒が自分にできるのか」という強いプレッシャーや、杜氏として酒造りを全てを仕切ることに大きな不安を感じながらも、多くの人を喜ばせたいという思い一心で1年目の酒造りを全うしました。

吉田酒造の杜氏として、2年が経った現在では、常に基本に忠実な酒造りでありながらも、新たな挑戦を惜しまないことを大切にしています。その挑戦の一つとして、昨年の4月にふるさと納税型のクラウドファンディング“Makuake”を利用し、醸造環境の設備投資のための支援を募り、支援をしていただいた方には12町歩を誇る吉田酒造の広大な自社田中から収穫した山田錦を35%まで磨き上げ、上品な吟醸香とメロンのような含み香の中にしっかりと芯のある味わいが特徴である、純米大吟醸の無濾過生原酒を限定で1505本製造した日本酒は、女性らしいしなやかさと芯の強さを持った日本酒として多くの飲み手に届けたといいます。

“若い力で日本酒の未来を変えていきたい”をテーマに、父の吉田智彦氏の想いを背負った吉田真子氏は、日々多くの人に「おいしい!」と言ってもらえるような日本酒を目指し、今日も風土豊かな大地と良質な水に恵まれたえ永平寺の郷に感謝しながら日本酒を醸しています。

ライトで呑み飽きない旨口な日本酒“白龍”

“白龍純米吟醸”は最高峰の酒米「山田錦」と福井県を代表する酒米「五百万石」を使用し、白山麓の雪解け水で仕込んだ福井のうまみが凝縮された日本酒です。上品なフルーティな香りと米の甘み、小気味良いキレが癖になる、際立つ個性が魅力の日本酒です。

食中酒としてもバランスが良い日本酒であり、永平寺の九頭竜川に生息する鮎の塩焼きや山芋をおろした永平寺そば、永平寺の郷土料理である“木葉寿し”とも相性の良い日本酒です。白龍の名前の由来やラベルのデザインは、蔵の裏を流れる、九頭竜川は寒さの厳しい時期に川から蒸気が発生しモヤが白い龍に見えることからあやかって命名したといいます。

酒蔵の真裏に位置する九頭竜川

一説によると九頭竜川には龍の守り神が住み着いているとも伝えられており、この場所は何度も川が氾濫する場所として恐れられていたそうです。

九頭竜川流域は本州日本海側のほぼ中央にあり、流域の主流である九頭竜川は幹川流路延長116kmを有し、北陸地方屈指の大河川であるとともに、この地域を代表する「母なる川」として縄文・弥生時代から現代まで、人々の生活と密接な関わりを持ち親しまれてきました。

また九頭竜川の中流域は“アラレガコの生息地”として天然記念物の指定を受けており、絶滅危惧種・希少種・危急種も多く見られるほど豊かな自然に恵まれています。

Follow me!