2017年、北海道上川町に新蔵が誕生した。北海道での酒蔵誕生は20年ぶりの快挙だった。異例の新設移転はホクレンや上川町、酒造組合などの協力を受けて構想が実現した。三重県の休眠していた酒造会社「株式会社ナカムラ」を企業買収。その後、四日市税務署に移転申請書を提出し、認可されると同時に、新天地・上川町に酒蔵移転を果たした。他県への酒造免許の移転申請は前例がなく異例中の異例だったが、北海道12軒目となる「上川大雪酒造・緑丘蔵」が誕生した。

酒蔵設立後は地方創生事業にも大きな注目が集まった。北海道からの革新的な酒蔵構想を実現させるために、北海道内の教育機関との連携を深め、人材を育成し伝統文化の継承を行うことや、郊外型の酒蔵として道の駅化を図った。旧態依然の格式高い酒蔵の雰囲気だけでなく、「上品さ」と「親しみやすさ」を理念に掲げ、気軽に立ち寄れる雰囲気を醸し出す。ちなみに五角形を有する酒蔵のシンボルマークは、大雪山の「大」の文字、美しい雪の結晶、アイヌ文様からインスピレーションを受けた。そして、日本酒の五味、甘・酸・辛・苦・渋を表現しているそうだ。

実際、上川町には年間200万人の観光客が訪れ、大雪山での登山や自然観察、層雲峡温泉や氷瀑まつりを満喫する。そこで上川町と酒蔵が一体となり、観光プロジェクトを推進している。そこには、酒蔵として地方創生に貢献していきたいとの明確な狙いがあった。上川酒造は銘柄「上川大雪」を通じて、上川町の魅力を世界に発信し、地域の活性化に繋げていきたいとの構想がある。地元で誕生した酒が上川町民の誇りとなるべく、その酒質設計にも数々の工夫が凝らされている。それは、既存の日本酒の愛好家だけでなく、道民に愛される酒を醸すために「食の王国 北海道」ならではの地酒とは何か、社内や関係者のあいだで慎重に協議を重ねたそうだ。その結果、食事の場面で広く親しまれる酒を追求していくという答えに辿り着いた。そのために、まず北海道が誇る海産物・畜産物・農作物などの食材との相性に目をつけた。そして、北海道産の酒米「吟風」「彗星」「きたしずく」などの酒米や理想的な7℃の大雪山の雪解け水を活かし、小さなタンクで主張しすぎないが個性的な食中酒を丁寧に醸すことをコンセプトに据えた。

北海道の米についての話題に戻すと、近年、品種改良が進み、飛躍的に食味が向上した。また、酒米ではないが「美味しいブランド米」の代表格となった「ゆめぴりか」や「ほしのゆめ」は近隣の上川農業試験場で誕生した。北海道は以前、「不毛の大地」と呼ばれていた歴史があり、道産米の評判は悪かった。しかし、1986年に品種改良や水稲栽培を研究する上川農業試験場が発足。広大な大地と大雪山からの豊富な水資源、夏の温暖な気候が水稲栽培に適していることから研究に注力した結果、北海道米のブランド価値が格段に向上した。その北海道産の酒米を使用して、北海道を表現する酒を醸す。万年雪を冠する大雪山系の湧水、酒米の生産者と豊かな自然環境に敬意を払い、食の王国にしかできない酒を表現したいと意気込む。

日々、醸造と向き合う総杜氏の立場を任されるのは川端慎治氏だ。1969年生まれ、北海道小樽市の出身。学生時代、日本酒「菊姫」に魅せられ、5軒の酒蔵で研鑽を積んだ後、故郷、北海道の酒蔵(金滴酒造)で杜氏を任された。2011年には北海道の酒米「吟風」で醸した日本酒が全国新酒鑑評会で金賞を受賞するという快挙を果たした。また、2016年からは上川大雪酒造の杜氏として会社設立に参画。現在は国立帯広畜産大学や国立函館工業高等専門学校の客員教授を務める醸造家だ。その活躍は多岐にわたり、輝かしい経歴を持ち、総杜氏という立場で蔵を支える。

現在の上川大雪酒造株式会社は、北海道初の全量純米蔵「上川大雪酒造・緑丘蔵」のほかに、帯広畜産大学構内の「上川大雪酒造・碧雲蔵」、函館市内の「上川大雪酒造・五稜乃蔵」の3拠点での製造体制を敷いている。2020年、日本初となる帯広畜産大学のキャンパス内に酒蔵を設立したことでも大きな話題を呼んだ。帯広畜産大学の歴史を辿ると、1941年に設立された「帯広高等獣医学校」を前身とし、帯広獣医畜産専門学校、帯広農業専門学校を経て現在に至る。広大な大地が広がる、十勝平野の中心部にキャンパスを構える。そこで、上川大雪酒造は教育機関と連携しながら醸造と向き合う。

また、次世代の人材育成を積極的に行うことで伝統文化の継承を技術的な側面で担っていく考えだ。現在、「上川大雪酒造・碧雲蔵」の杜氏を担うのは、若山健一郎氏。1971年に生まれ、酔鯨酒造で修行し、竹鶴酒造では醸造責任者を務めた経験を持つ。静岡県や愛媛県の蔵で勤務した後に、フランスの昇涙酒造の杜氏として蔵の立ち上げに携わる。その後、出羽鶴酒造を経て、2020年より「碧雲蔵」の蔵人になり、2021年からは杜氏に就任。蔵の指揮を執りながら、帯広畜産大学の学生に技術を伝えている。実際に杜氏補佐の山根桃華氏は大学で微生物の研究を進めながら、上川大雪酒造・碧雲蔵での酒造りにも携わっている。

そして、上川大雪酒造は創業して間もない頃、北海道の酒米の扱い方には大変苦労したそうだ。醪の段階で独特の癖が生じ、思うように米が溶けない。しかし、川端総杜氏は数々の蔵での経験と事前段階での準備力を活かし、醸造過程での問題を解決していったそうだ。現在は「食の王国・北海道」に相応しい地酒を追求すべく、「飲まさる酒」を目標に掲げる。ちなみに、「飲まさる」とは、北海道弁で「ついつい飲んでしまう」という意味だ。そして、初代蔵元の塚原敏夫氏や総杜氏の川端慎治氏の願いはただひとつ。この地で地元に愛される酒を醸し続けていくこと。それは決して、奇をてらったような酒ではなく、日常に寄り添う酒。贅沢な日常がそこにある感覚。道産子に勇気や希望を与え、地元を誇りに感じてもらう酒を届けたい。そのために、神々の遊ぶ庭「カムイミンタラ」の麓など、3拠点での地方創生蔵「上川大雪酒造株式会社」の挑戦は続く。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡

編集:宍戸涼太郎