静岡県沼津市原で「白隠正宗」を醸す、創業1804年の高嶋酒造は江戸時代には日本橋から数えて13番目の宿場町として栄えた旧東海道沿いにある。歌川広重の「東海道五十三次」で描かれている「原 朝之富士」と題された浮世絵でも知られている。銘柄「白隠正宗」は江戸時代中期、臨済宗中興の祖と称えられている高僧・白隠慧鶴禅師が由来する。その銘柄「白隠正宗」のラベルにも白隠禅師の絵が用いられており、松陰寺の住職が蔵に対し、絵を使用しても良いとの快諾を得ているそうだ。松陰寺と蔵が深い関係性であることが窺える。白隠禅師は蔵の所在地である駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)の出身。若干34歳で京都妙心寺の第一座となり、衰退していた臨済宗の復興に尽力し、故郷の松陰寺にて84歳で入寂。その後、明治天皇から白隠禅師へ「正宗」の国師号が追贈されることとなり、その特使として山岡鉄舟が松陰寺を訪ねた際に、高嶋酒造の酒の旨さに感銘を受けた鉄舟は、国師号「正宗」と清酒をかけて「白隠正宗」と命名したそうだ。時代に即応した禅を広めた僧の活躍は地元の誇りとして語り継がれ、その哲学や思想は現代にまで継承されている。「駿河に過ぎたるもの」として富士山と並んで称された偉人と同郷で、「白隠」の名を冠した銘柄を醸す、高嶋酒造の蔵元杜氏・高嶋孝一氏の醸造における哲学もまた、禅の思想に少なからず影響を受けているそうだ。「自我のない酒」であることを目指し、「何かに挑戦するというよりも真面目に粛々とやる」ことを常に信条においているそうだ。

目の前にある原料を使用するのも、地元の料理に合う酒を目指すのも、生酛と呼ばれる伝統的技法を採用するのも、奇をてらわずに自然体で酒を醸したいから。そして、平成24年度の醸造からは「静岡の米を可能な限り多く使用することが地酒の役割」との想いから、全量純米の酒造りに切り替えた。これからは日本酒を世界へ発信する時代において、そこにアルコール添加をする必要性を感じなかったことも起因する。地酒とは何か。それに対し、「原料はシンプルがベスト」という答えを導き出し、静岡県産の誉富士や愛国を原料米、仕込み水は富士山の霊水。そして、酵母は静岡酵母のNEW-5。まさに静岡を表現するような一献だ。2008年に杜氏に就任した頃から地酒は地域の食文化によって育まれたことを意識し、自然体で「あるものを活かす」というスタイルを貫いている。

そして、江戸末期から紡がれてきた干物の産地として有名な沼津市。アジの干物の生産量は全国で60%のシェアを誇り、干物加工場は80軒を超える。富士山からの豊富な伏流水と駿河湾で水揚げされる海の幸、沼津特有のならい風、少ない降水量などの恩恵が港町の干物文化を育んできた。沼津の地で酒を醸す蔵にとって干物と酒は切っても切れない縁なのだ。

それが、地域に対する誇りを表現する酒であることにも繋がってくる。高嶋氏は「白隠正宗」を醸すうえで、「家庭料理から料亭までを想像できる酒」を意識しながら、「がっしりと軽く、だらだらと量を楽しめる酒」であることを想定に造っている。地元の名産であるムロアジなどの干物と「白隠正宗」の相性も想定し、最強のコミュニケーションツールとしての役割も担いたいと意気込む。静かに深く沼津を表現する酒として。そして、沼津の人々を心地よく酔わせる酒。自我に固執することなく、粛々と酒と向き合うことこそが「白隠正宗」を更なる境地へと導けると信じている。それが、禅の教えである「犀の角のように、ただ独り歩め」にも通じてくるのだ。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡