長崎県北西部の平戸島。日本で20番目の島面積を誇り、北端「田の浦」から南端「宮ノ浦」までは45kmの道のりだ。中心の平戸地区は旧平戸藩松浦氏の城下町として江戸幕府が鎖国するまでは中国や西洋諸国と交易を行った。平戸島は対外貿易の中心地として歴史を紡ぎ出し、ポルトガル船が1550年に入港してからは南蛮貿易の開港場として繁栄を誇った。そして、現在も当時の様子を伝える遺構が数多く残されている。平戸は海と山に囲まれた土地のため、迫力のある美しい自然を眺望することができる。それに最近は雄大な自然と異国情緒溢れる島に注目を集める銘酒が存在することも話題となっている。その土地の名を冠した銘柄は彗星の如く誕生し、次世代を担う酒として大きな期待を寄せられている。その銘柄は平戸の歴史や西洋文化が散りばめられ、地酒としての役割を果たして共感を呼んでいる。風土を色濃く映し出すその酒は「新進気鋭」の杜氏によって生み出されている。

人口約3万人程度の小さな町で醸される銘酒は首都圏の酒販店では品薄状態が続き、その酒蔵は増石を迫られるほどの人気ぶりだ。現在は蔵人6名で製造石数の500石を賄っている。増石体制を徐々に整備していきながら、いずれは1000石を目指しているという。常に世界を意識し、世界で認められる酒。そして、日本を代表する酒。その実現に向けて醸造設備の拡充を早急に進めている最中だ。現在の酒蔵の活気からは全く想像がつかないのだが、かつては廃業寸前の経営状態で杜氏が急逝したこともあり、杜氏不在の状況が十数年も続いていたそうだ。現杜氏が酒蔵を継ぐまでは存続が危ぶまれる厳しい状況が続き、米を蒸す甑以外の設備は全く使い物にならない状態だったという。もちろん、設備を導入したからといって酒質が向上するという簡単な世界ではないことは百も承知だった。しかし、正当な設備が皆無な状況であった酒蔵では、設備を導入すればするほど著しく酒質が向上したそうだ。裏を返すと、その酒質の向上が過酷な環境だったことを物語っている。また、2017年に杜氏が久しぶりに誕生したことも、久しぶりに明るい新報となった。それ以来、「決して高機能な設備が良い酒を造る訳ではない」ということを蔵人たちに説きながらも、着実に万全な醸造体制を敷く準備を整える。平戸の素晴らしさを世界に発信する酒蔵へと飛躍を遂げるためにも一切の妥協はない。

その昔に平戸は海より眺めた島影が神霊の精が鳥と化した「鸞」が飛び立つ姿に似ていた点から「飛鸞島」と名付けられた。それが転じて「平戸島」と命名されたと伝わっている。そして「飛鸞」を銘柄名に冠する、森酒造場の創業は1895年のことだ。この年は日清戦争で勝利し、下関条約が結ばれた年としても知られる。現当主で4代目となり「平戸に賑わいを生み出す企業」を理念に掲げ、最教寺の湧水と平戸の米で「風土と造り手の感性を表現する」ことを念頭に置いた酒造りが続けられている。そして、平戸市から酒造りの魅力を次世代へ発信し、地域に愛される酒蔵を目指しているそうだ。

森酒造場の現在地は「地域に愛される地酒でありながら、世界基準の酒」を模索している段階である。今後、若年層に日本酒を受け入れてもらう為にはアルコール度数を下げていく工夫も必要だと考えているそうだ。世界で最も普及している醸造酒はワインでアルコール度数の平均値は約12度といわれる。そして、日本酒の魅力を世界へ発信していく為には、日本酒のアルコール度数もワインのアルコール度数に近づけていく必要性があると説く。製造現場では現在、アルコール度数を下げる試みを行っている最中だという。その他にも食との相性を考えて派手な香りを出さない酒質設計を心掛けているそうだ。確かに分かりやすさや販売戦略を最優先にした場合はカプロン酸エチル系の日本酒は評判も良く、ある程度の売上げも見込める。しかし、市場の流行りに乗っかるということは行いたくないそうだ。なぜなら、日本酒業界には暗黒時代があったと考えているからだ。それは自分の蔵の個性や目指すビジョンは二の次で、蔵の歴史を無視して流行だけを常に追う方針だ。その結果、全国各地の酒販店で似たような酒で溢れ返り、その蔵で受け継がれてきたはずの方針や哲学は皆無になった。現在は日本酒業界が良い方向に向かっており、振り切った思想で結果を出す蔵が登場してきた。森酒造場も蔵の哲学を表現した酒で突き進む覚悟だそうだ。そして、自身が1日の終わりに嗜みたいと正直に思える酒を醸すことを信条に据える。無加水原酒でアルコール感のない日本酒を目指しながら、「生きた酒」を市場に供給する。その生命力が溢れる酒とは、敢えて瓶内に澱を残すことで実現するのだ。開栓直後に吹き出すかもしれない、澱が混ざり甘味を感じられる日本酒。商品管理の難易度が上がるが、日本の高精度の物流能力を活用すれば、最高の状態で日本酒を提供できる。そして、ワインには濁り酒という概念は存在せず、日本酒特有のもので強みとなるとも捉えているそうだ。

私たちのような日本酒の造り手がワインに対してリスペクトするのは大切なことだが、過度にワインに近づけようとするのには抵抗感を感じる。私たちの生まれ故郷である、日本で醸される酒。今も昔も日本酒の文化は独自路線を歩んでいく覚悟が必要だ。例えば、日本酒スパークリングに甘味があるものを敬遠する人は多いが、その「甘さ」こそが魅力なのではないか。燗酒もそのひとつだが、日本の歴史のなかで形成されてきた文化に恥じることのない酒を醸し、世界に発信していきたいと語る。そして「真の地酒」を追求して酒造りと向き合ったからこそ報われた瞬間もあった。それは手応えを掴んだ瞬間でもあった。フランスやイギリスで2021年に開催された鑑評会で最上位に次ぐ金賞の評価を獲得したのだ。この手応えが自信にも繋がり、蔵の歩むべき方向性は間違っていないという感覚になれたそうだ。現在、森酒造場の活躍は地元・長崎だけに留まらず、海外でも認知度が徐々に高まってきているそうだ。

世界で認められる酒「HIRAN」を目指し、奮闘するのは現当主の長男である、森雄太郎氏。専務兼杜氏の立場として蔵を支えている。その経歴が杜氏としての実力を確かなものとした。幼い頃から自然と家業を継ぐものだと意識するようになり、高校卒業後は広島大学に入学。そこで発酵工学を専攻した。前述の通り、蔵には十数年も杜氏不在の状況が続き、「このままでは酒蔵の歴史に幕を下ろしてしまうことになるのでは」という危機感を募らせていたそうだ。まずは、経営を学ぶことよりも醸造技術を習得することが最優先と感じ、西条で学生時代を過ごしたそうだ。その期間は酒類総合研究所にも在籍し、醸造についての基礎を習得。そして、大学卒業後は教授の紹介で「浦霞」を醸す、株式会社佐浦に入社。12号酵母発祥の酒蔵で実践を重ねた。3年の期間、寒冷地での酒造りや一時代を築き、設備の充実した環境のなかで醸造に対する基準を確立したそうだ。全国新酒鑑評会における金賞受賞回数は全国でもトップクラスの記録を誇る名門蔵で、吟醸造りのいろはを習得し、家業を継ぐために2017年に平戸へ帰郷。蔵に戻ると杜氏が不在だったこともあり、蔵元である父から「後は任せた」と言われ、杜氏に就任。当初は不安もあり、長崎県の温暖な環境と修行先の宮城県の寒冷な環境では作業工程が違ってくる。発酵については理解していたが、温度環境や設備環境が異なってくることもあり、順応するまでに時間を要したそうだ。環境に順応した酒造りは初心者で、ほとんど酒造りが行われていない蔵には設備もなく、悩みも多かったという。

しかし、面倒なしがらみもなく、全ての作業工程を自身の考えに基づいて実行できた点は、いち早く経験を積むことにも繋がったと振り返る。現在は専務兼杜氏という立場から「飛鸞」の更なる向上を目指す。そして、1990年生まれ、33歳の新進気鋭の杜氏は日本酒の未来を見据えて「生酛造り」を導入した。自分たちの蔵を世界へ発信していく上で、自分たちにしか造れない酒を体現することを重要視したためだ。宮城の酒蔵で修行していた頃は、生酛造りは採用しておらず、自身としても特に深めるつもりはなかった。しかし、今後の日本酒において付加価値を高めていくためには乳酸菌も蔵に棲みついているものを活用していくことが必要不可欠だと考え、自社で醸造される大多数の日本酒を普通速醸酛の倍以上の発酵期間と労力を要する生酛造りで醸す。同じ生酛系酒母に属する生酛と山廃のどちらを主体として酒造りを行っていくのか検討したときに、生酛を採用した理由のもうひとつに「安全性」が挙がったという。安全性とは水分活性の問題という意味である。例えると、チーズが生酛でヨーグルトが山廃というイメージ。チーズは保存性が効くが、ヨーグルトは保存が効かない。水分量が鍵を握っており、生酛のほうが水分量が少なく汚染リスクが低い。それが森酒造場で生酛造りを採用した理由のひとつだ。そして、生酛造りの日本酒は日本酒業界全体の製造量のなかでも10%未満で技術の継承が懸念されている。そこで、森杜氏は本来2人以上で作業を行う生酛造りを1人で完結できるマニュアルを考案。過酷な酛摺りが15分程度で終了するのも魅力的だ。蔵人の少ない酒蔵でも生酛造りを導入できるようになれば、生酛の日本酒も増えてくるのではないかと期待を寄せる。また、蔵で共に働く蔵人たちにも酒造りが面白いと感じてもらうことが「飛鸞」の更なる酒質向上にも繋がってくるのではないかと話す。そして、最近の日本酒は技術の共有が起こり、コモディティ化が進行中だ。例え、美味しい酒が造れたとしても、それだけでは売れない時代。そこで、何に拘って美味しい酒を造っているのかを明確にする必要性を感じているという。その拘りの部分を明確に買い手の人たちに発信していく。誤解を招いてしまうかもしれないが、その日本酒の品質についても120%を目指すが、結果が80点であったとしても構わないと言い切る。なぜなら、美味しいという感覚は人によって異なることもあり、それ以前にどんな想いでその蔵が酒を醸しているのかという哲学の方が重要であると考えるからだ。

そして、平戸の魅力を語る上で欠かすことの出来ない重要な土地が存在する。「春日の棚田」として知られ、潜伏キリシタンが切り拓いた土地だ。そこは、安満岳から海へと傾斜のある谷の地形が特徴的で、目の前には海と棚田の絶景が広がっている。外からは見えないような複雑な地形をしており、中に入ると独特な雰囲気が漂う不思議な空間だ。そこで暮らす人々は安満岳とキリスト教を信仰の対象とした暮らしが営まれている。近年、豊かな里山の自然と歴史ある平戸の文化が評価され、安満岳・中江ノ島・春日集落が世界遺産「平戸の聖地と集落」に認定された。また、2010年に「春日の棚田」は「平戸島の文化的景観」として国の重要文化的景観にも選定。しかし、人口70人程度の限界集落は農業従事者の高齢化などもあり、地域としても棚田保全は課題となっている状況だった。森酒造場としても貴重な観光資源を残していきたいとの想いから地元農家と協力しながらコシヒカリを栽培。それを原料米に活用して「Firando 夢名酒」を醸す。西洋文化や平戸の歴史を考慮したラベルデザインで、味わいも肉料理や果実との相性を考慮した酒質になっている。また、長崎の酒蔵としてキリシタン文化の開花や禁教の歴史などの後世に伝えていくべき独自の文化を日本酒に込めている。さらに森杜氏は「日本酒の入門になる酒」と位置付け、一段仕込みという独特な製法で醸造しているそうだ。そして、今後は長崎県の登録品種「にこまる」という米も春日の棚田で栽培する計画があるという。「地元の米を積極的に使用することで地元の農業が戻ってくる」と期待を寄せているのだ。

平戸の代表的な景観になっている教会と寺院が混在する西洋と東洋が融合した文化。海岸通りから続く石畳の坂道を上がると、ザビエル記念協会の十字架と緑の尖塔が望める。その下には正宗寺・光明寺・瑞雲寺の瓦屋根が眺められる貴重な風景。平戸の町を歩けば独特の雰囲気が感じられ、全国でも平戸にしかない文化や歴史が息づく。また、雄大な自然に囲まれて心地よい風に吹かれながら、歴史を穏やかに紡ぎ出す風土。そして、平戸大橋が1973年に架かったことで平戸の魅力は全国、世界へと発信されるようになった。その結果、歴史的な建築物や断崖絶壁の海岸線を一目見ようと多くの観光客が訪れてくるようになった。次は森酒造場で醸される「飛鸞」がさらに脚光を浴びていくことで平戸の魅力を世界へ再発信していく。常に「飛鸞」らしさを意識し、「飛鸞」という銘柄を業界内でも確立していきたい。異国情緒溢れるこの町で酒造りの探求は続く。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡

編集:宍戸涼太郎