「酒造りは米作りから」という信念を掲げ、神奈川県海老名市に蔵を構える泉橋酒造株式会社。創業は1857年で、県内有数の穀倉地帯(海老名耕地)にて質の高い米と丹沢山系の水を用いて、主銘柄の「いづみ橋」を醸す。由来は酒蔵の北側に泉川が流れており、屋号の橋場と合わせて「いづみ橋」となった。また、代表を務める橋場友一氏は1996年から「美酒を醸すには、まず良い酒米が必要不可欠」と考え、本格的に酒米栽培をスタートさせた。環境に配慮した無農薬栽培・減農薬栽培で酒米を栽培し、醸造まで一貫して行っている。田圃は先代をはじめとする先祖から守られてきた大切な預かりもので、次の世代へ最高の状態で田圃を預けられるように除草剤(グリホサート系除草剤)や殺虫剤(ネオニコチノイド)のような化学農薬の使用を抑えた栽培方式を実践している。ほかにも耕作放棄地を田圃に再生するなどの活動も精力的に行っている。全ては未来へ続く地域づくりを目指すために。

「いづみ橋」のシンボルマークになっている「赤とんぼ」。泉橋酒造の無農薬・減農薬栽培の田圃に飛んでいるトンボと大山をロゴマークに採用している。ラベルデザインも季節を通して変えることを大切にしており、冬は「トンボの越冬卵と雪だるま」をイメージし2008年に誕生、夏は「トンボの幼虫であるヤゴが健康的に育つ、健全な田圃」をイメージし2005年に誕生、秋は「秋の田圃を飛び交うトンボ」をイメージし2003年に誕生した。次世代にまで受け継ぎたい海老名の風景をラベルで表現しており、「赤とんぼ」のライフサイクルをモチーフにしている。

また、酒蔵からは大山をはじめとする丹沢の山々を一望でき、豊富な地下水が酒蔵にまで流れている。ミネラル豊富な硬度の高い伏流水を使用し、丁寧に醸造された「いづみ橋」は料理を引き立てる爽やかさと旨味の感じられる味わいに仕上がっている。「いづみ橋の魅力をペアリングを通して伝えたい。」との橋場氏の願いから、北仙台で「真・海・菜・食・しん」の店主を務めており、親交の深かった根本シェフを海老名に誘致し、佳き日本酒と佳き肴が楽しめることをコンセプトに据えた、「蔵元佳肴 いづみ橋」を2016年に開店させた 。地元で採れた旬菜や相模湾の新鮮な海の幸、ブランド牛のさがみ牛など、神奈川の食材の魅力が堪能できる一皿と「いづみ橋」のペアリングが楽しめる特別な空間が用意されている。

泉橋酒造の純米酒製造率は100%を誇る。また、そのうちの製造量の50%が天然の乳酸菌を活かした生酛系酒母づくりで日本酒を製造している。蔵元の橋場氏は「自然に寄り添った酒米の栽培を追求したら、自然と天然の乳酸を取り込む生酛系酒母づくりに行き着いた」と語っていた。 生酛系酒母づくりは奥行きの感じる深い味わいに仕上がることが特徴だが、その反面で酒蔵や道具などの衛生管理を少しでも怠ると雑味が多くなってしまうリスクのある醸造方法だ。酛摺りや衛生管理に大変な手間のかかる生酛系酒母づくり は「より自然な味わい」を追求することを目的に2009年から導入しているそうだ。そのほかにも麴蓋と呼ばれる道具を用いた麴づくりを導入しており、一般的な方法と比べると3倍以上、手間のかかる方法で麴をつくっている。水分量や温度の細かい調整が可能で、微妙な差異を経験豊富な蔵人が感覚で捉えながら、少量ずつ丁寧に仕上げていくことを心掛けているそうだ。蔵人のセンス(感覚)が日本酒に吹き込まれる肝心な工程でここまで蔵人が活躍し、徹底的に日本酒と向き合う酒蔵もそう多くはない。

泉橋酒造では酒蔵や田圃を観光資源として捉え、海老名という首都圏近郊の訪問しやすい立地を活かして、より酒蔵や田圃を身近に感じてもらうことを目的とした田圃や酒蔵の見学ツアーを定期的に開催している。蔵の敷地内に併設されている直売店では有料試飲や日本酒の購入ができるようになっている。酒蔵の存在を多くの人に認知してもらうことが最優先事項と考えており、それが大地を借りて作物を栽培し商いをする酒蔵の立場として忘れてはならない使命であると教えてくれた。美しい田園風景の保全に貢献することや生物の多様性を守る農法での農業を継続することで農業の魅力を伝え、離農者の問題や高齢化による後継者問題、農業に関連した環境汚染問題の現状を「いづみ橋」を通して声へと変換し、先人からの預かりものを未来へ残していくためのメッセージをこの先も変わらず発信し続けていく。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡