2018年9月に埼玉県秩父郡長瀞町にて藤崎摠兵衛商店の酒造りが再開した。経営不振を理由に2014年を最後に、醸造を休止していた蔵は、もともと埼玉県大里郡寄居町に所在していた。銘柄「白扇」を醸し、創業1728年の歴史を誇る蔵は,年間270万人が訪れる長瀞の地へ移転した。長瀞町に蔵を移したのには明確な理由があり、「多くの観光客が訪れる長瀞町の方が魅力を発信しやすい」との経営戦略から、再始動の舞台を長瀞町に設定した。長瀞町長からの誘致やサポートもあり、秩父鉄道の長瀞駅から徒歩10分の場所に蔵を新設した。そして蔵は郷土資料館や旧新井邸に隣接、メインストリートである宝登山参道にあり、魅力を発信するのには最適な場所だ。
埼玉の地で日本酒を世に広めることに尽力した日野商人十一屋・藤崎摠兵衛の情熱を受け継ぐ蔵は、若き杜氏に蔵の未来を託した。2018年、蔵のリニューアルのタイミングで前杜氏が退職し、杜氏に抜擢されたのは、1988年生まれの埼玉県出身、穐池崇氏だった。以前の蔵を知り、蔵人として働いた経験が評価され、杜氏に任命されたそうだ。穐池杜氏の経歴について振り返ると、大学卒業後に藤崎摠兵衛へ入社。最初は特約店などの酒販店に自社銘柄の魅力を伝える、営業担当を任されていたのだが、営業を行うためには日本酒への知識も習得する必要性を感じて、勉強のために醸造の仕事に加えてもらったところ、発酵の奥深さに魅了されて、醸造の職に専念するようになったそうだ。前杜氏のもとで基礎的な技術を習得しながら、家訓である「三方よし」の精神や「技で磨き、心で醸す」ことを醸造を通して体現してきた。そして、「埼玉でしか造れない地酒造り」を目標に掲げ、日々、酒造りと向き合っている。また、長瀞だから生み出せる、埼玉の日本酒に相応しい原料を選択することで、普遍の味わいを追求している。
原料米には農林技術研究センターが2004年に開発した、埼玉県初の酒米「さけ武蔵」を使用している。粒が大きく心白があるのが特徴だ。また、仕込み水には長瀞風布地区に湧出する天然水を汲みにいくという徹底ぶり。名水百選にも選出されており、「日本水」と呼ばれている。その昔に、日本武尊が剣を突き刺したところが湧水したという伝説が残されていることが、名前の由来だそうだ。そして、蔵で「長瀞」を醸す、蔵人も全員が埼玉県出身。まさにオール埼玉の日本酒なのだ。酒質設計などは社内会議で意見交換を定期的に行ってはいるが、基本的には杜氏に任せているそうだ。それは、杜氏自身の年齢も若く、「センスや感覚に任せる部分があっても良いのではないか」という考えがあってのことだ。ビジョンとして掲げる、「埼玉に冠たる純米酒を醸す」という目標と向き合い、まずは既存の日本酒ファンに知ってもらう。
そして、豊かな自然に癒しを求めて長瀞に足を運ぶ観光客に対して、蔵や日本酒の魅力を発信する。それは、都心からもアクセスが容易な長瀞という土地の強みなのではないだろうか。無限なる可能性を秘めた「長瀞」で、銘酒「長瀞」はどのようにして成長を遂げていくのだろうか。「壮観な岩肌とコバルトブルーに煌めく清流が織り成す渓谷美」。そんな酒を醸していきたいと語る穐池杜氏の表情は自信に満ち溢れていた。涼しく、爽やかな風が吹き抜ける町で、「彩の国」の酒といえば銘酒「長瀞」と呼ばれる挑戦は続いていく。
文:宍戸涼太郎
写真:石井叡