神奈川県足柄上郡の地で中沢酒造は「松みどり」を醸すことで知られている。創業1825年の酒蔵は都心から小田急線に乗車して約1時間30分あまりの距離にある。蔵が所在する松田町には豊かな緑が残されており、酒匂川(さかわがわ)と川音川の流れが織りなす自然郷なのが魅力的だ。11代目蔵元の鍵和田亮氏も「一般的に神奈川は都会というイメージが強いが、県の西部は自然豊かで暮らしやすい」と印象を語っている。そして、蔵には井戸が存在せず、町単位で汲み上げた丹沢の水を一般的な水準にし、蛇口を捻って使用する。これも豊かな水資源に恵まれている証拠だ。松田町の北部は丹沢大山国定公園の1200m級の山々に抱かれ、南部の酒匂川流域には豊饒(ほうじょう)な足柄平野が広がる。また、松田町は交通の便も良く、東名高速道路と国道246号の連絡点のひとつとして重要な交通の役割を担いながら、都会の喧騒を忘れられる豊かな自然が残されていることで、若者の移住先としても注目を集めている。
昔、中沢酒造は小田原城に御用商人として出入りしており、当初は米農家として米を納めていた。しかし、ある時を境に酒を納めるようにとの指令を受け、醸造業を開始。代表銘柄の「松美酉」を納めて間もない頃は酒名が無い状態で納品していた。小田原城主は酒名が無いことは不自然であるとして、小田原城から眺望する酒匂川から相模湾までの松並木が美しかったことから「松美酉」という酒名を授けたそうだ。「松」は松並木、「美」は松田町の美しき風景と美酒。そして、「酉」は酒壺の形を表す。漢字だと消費者から銘柄名を認識してもらえなかったこともあり、先代が蔵元だった25年ほど前から「みどり」を平仮名表記へと変更した。現在は本醸造以外の日本酒は全て平仮名表記となっている。
中沢酒造の蔵元は11代を数えており、現在は若き蔵元の鍵和田亮氏が担っている。東京農業大学醸造学科を卒業し、宮城県大崎市の一ノ蔵で2年間の修行を経て、2011年に家業を継いだ。鍵和田氏が杜氏に就任してからは東京国税局酒類鑑評会や日本酒の口コミサイトなどで好評価を集めており、その評判から都内や県内の有力な酒販店でも陳列されるようになった。そして、現在の中沢酒造の体制は鍵和田亮氏が中心となり、父と年間雇用の社員、季節雇用の3名の南部杜氏を合わせた6名で酒造りを行っている。酒造りでは昔ながらの蓋麹を採用し、冷蔵倉庫の中に設置された薮田式の搾り機での上槽を行う。実直な酒造りを信条に据えて、丁寧な酒造りを心掛ける。酒造りの工程は力作業が多いのだが、まるで宝石を扱うような繊細さも同時に求められる。じっくりと時間をかけながら、「松みどり」を醸すことで、優しい味わいへと仕上げている。それから、松田町で暮らす人々は魚介が食卓に上がることも多いため、蒲鉾や刺身と相性の良い酒を目指し、酒質設計を行っているそうだ。華やかな酒を目指すよりかは調和のとれた穏やかな味わいの酒を目標に協会9号酵母を選択している。それは日常の暮らしなかで選ばれる地酒こそが最も地域に寄り添った酒なのではないかと考えているからだ。
そして、中沢酒造の醸造においての最大の特徴は「酵母」に着目した酒造りを行っていることだ。鍵和田氏が東京農業大学在学中に「実家の蔵を継いだ時に役立つ内容の研究」を進めることを考え、「酵母を発見」することを卒業研究課題の目標に掲げた。テーマを決定するまでに「米・酵母・麹」のどれかに着目した研究を行いたいと考えていた。しかし、米の新品種を誕生させることは最短5年を要し、また麹菌は毒素を生成する可能性があるため、大学生では責任が取れないということになり、双方断念することになった。残された研究内容は酵母を発見することしかなかったこともあり、自然界の酵母の分離について研究することに着目した。そして、「実家の蔵を継いだ時に役立つ内容の研究」をしたいとの意気込みから、テロワールを意識して松田町に存在する草花からの酵母の分離と設定した。しかしながら、自然界には3%程度しか日本酒造りに適した酵母は存在せず、醤油や味噌、パンをつくる酵母が大半を占めている。酵母が発見できる保証もなく、先輩も卒業研究にアルバイト先の花屋で天然酵母を発見するという研究を行ったのだが、発見するまでには至らなかったそうだ。そして、清酒酵母は分類学上、アルコール度数を20度以上にまで上げられ、醪の段階で泡を出さないと清酒酵母とは呼ぶことは出来ない。最近は低アルコールの日本酒が流行しており、アルコール度数が15度までしか上げることの出来ない酵母を使用するほうが時代にあっているという考え方もあるかもしれないが、清酒酵母の研究を行うのであれば、そういうものを全て切り離して考える必要性を感じたそうだ。一般的に卒業研究は4年生の4月に研究内容が決定して動き始めるくらいなのだが、鍵和田氏は3年生の春休みには研究内容についての教養を身に着けるなど、研究の準備を進めていたという。その理由は春に河津桜などの花が咲き誇る時期で、これを逃してしまうと研究が来年の春になり、卒業を迎えてしまうため、周囲の学生よりも早くに始動していたそうだ。酵母採取は河津桜の花や幹、樹液、周辺の土などから行った。また、その他にも紫陽花やコスモスからの酵母採集も行ったそうだ。そして、1回目の河津桜の花を採取して培養を行ってみると奇跡的に河津桜酵母を発見することができた。その河津桜酵母は見事にアルコール度数も20度以上にまで上げることができ、泡ありの遺伝子を持つ正真正銘の清酒酵母であった。「河津桜酵母」の特徴は天然の酵母なので酸が出やすく発酵力が強い。鍵和田氏は「酸が出やすい酵母だが酸を抑えたい」との考えから、大吟醸の酒のような温度経過を取らせているそうだ。なぜなら、低温にしないと尖った印象の酒に仕上がってしまう。できるだけ醪日数を長くしたいということから醪日数28日の長期低温発酵、最高品温11度を目標に設定して醸造を行っているそうだ。鍵和田氏の学生時代の「実家の蔵を継いだ時に役立つ内容の研究」を行うという夢は宮城県の酒蔵での修行を終えて、家業を継いだ2011年冬に河津桜酵母での酒を醸したことで叶ったことになる。
さらに、中沢酒造では「幻の酵母」といわれる「Saccharomyces Tokyo NAKAZAWA」という清酒酵母で酒造りを行ったことで話題となった。これは、蔵元の鍵和田氏が2020年に開催される予定であった「東京オリンピック」に向けた商品開発を考えるなかで生まれた銘柄である。東京オリンピックの候補地に挙げられていた「横浜スタジアム」や「江の島」にも海外からの観光客が訪れることを見越して、神奈川の地酒として提供できたらと考えていた。しかし、「東京オリンピック」に相応しい酒とは何かを考えても良い案は全く思い浮かばなかった。2016年のある日、気分転換も兼ねて、東京農業大学に卒業生として「東京オリンピック」に相応しい酒について教授に相談すると、「Saccharomyces Tokyo NAKAZAWA」と呼ばれる東京酵母があるから使ってみたらどうかと投げかけられた。教授からは「東京酵母について詳しく調べないと使わせない」と言われたため、久しぶりに論文などの文献を読み漁った。そして、東京酵母について詳しく調べてみると、もともとは明治時代に研究で使用されていた酵母で、ドイツ・ミュンヘンで日本から輸送されてきた醪か酒母のどちらかから発見されたという。発見者の中沢亮治博士が大学卒業後に国の研究機関に配属されることになり、菌の研究のためにドイツへ留学。ミュンヘンの研究施設では世界中から菌が集められているような施設で、ビール酵母や麹菌なども管理されていたそうだ。東京酵母は現存する清酒酵母の中で2番目に古い酵母なのだが、過去に一度も酒造りに使われたことがない酵母であった。鍵和田氏は誰も使ったことのない東京酵母の魅力に強く惹かれて、この酵母で「東京オリンピック」に相応しい酒を造りたいという想いが強くなっていったという。また、東京酵母は江戸酵母という酵母と対になっており、江戸酵母は使用している酒蔵が存在していることから、東京酵母での酒造りを決意したそうだ。そして、東京酵母は東京農業大学に5種類も保管されており、2017年に蔵で使用する前に研究室の学生が醸した酒を目隠しで利き酒を行って、どの東京酵母を使用するか決めなさいと教授から誘われて参加することになった。そこで選んだ酵母の番号が蔵の電話番号と一緒だったことにも強い縁を感じたそうだ。また、中沢酒造の蔵元の名前が鍵和田亮で、発見者の名前が中沢亮治博士という名前が近いことにも縁を感じたという。鍵和田氏も学生時代に酵母を発見した者として、名前が近く未だ誰も使ったことのない酵母に強い興味を抱いた。中沢酒造の東京酵母を使用した酒は「松みどり 純米吟醸 S.tokyo」とし、中沢亮治博士の不断の努力と情熱に敬意を表し、酵母の名前をそのまま記した銘柄になった。また、東京酵母で醸された酒は昔の酵母特有の余分な成分をあまり出さないことからも味わいが崩れず熟成に向いていると予想する。今後はこの特性なども活かしながら「松みどり 純米吟醸 S.tokyo」の酒質を更に向上させ、看板商品へと成長させ、酵母のデータを蓄積しながら酵母が保管されていたドイツに商品を輸出することが目標だという。
そして、中沢酒造で醸される酒は全て速醸酛なので、今後は乳酸菌添加の酒造りも行っていきたいと計画しているそうだ。東京農業大学に協力してもらい、蔵内から乳酸菌を探して培養を行い酒造りを行うことで「神奈川の素材」だけで酒を醸す。造り初めは室温が15度以上もあるので、生酛や山廃の導入は難しい。それならば、高温山廃酛で雑菌の淘汰を行いながら発酵経過を辿ることで素晴らしい酒になるのではと構想を練る。全ては神奈川の地酒として、神奈川・足柄・松田町の魅力を県外に発信するためだ。本当の地酒とは何かを探りながら、蔵の未来を紡いでいきたい。鍵和田氏の酵母と共に歩みを進める酒造りに終わりはない。研究熱心な醸造家の追求は続く。
文:宍戸涼太郎
写真:石井叡
編集:宍戸涼太郎