「にいだしぜんしゅ」を醸す、仁井田本家の創業は1711年です。福島県郡山市で化学農薬や化成肥料を一切使用せずに栽培した酒米を生酛造りにて醸しています。田んぼと水を守ることを理念に掲げながら、自社田付近の「竹の内の井戸水」と、自社山から湧き出る「水抜きの湧水」の天然水を使用して酒造りを行っており、その豊かな水資源を保全するためにも洗米や洗瓶による廃水の処理にも厳しい水質基準に対応する設備や割らずに洗浄して再利用できる瓶を導入するなど環境に配慮した酒造りを行っていたりもします。今までの300年をこれからの300年に繋いでいけるのかを考えながら事業を構築しています。
また、「造り手が見える、お客様が見える物造り」を心掛けながら、イベントを主宰したりもしています。これは仁井田本家独自の活動として注目を集めており、県外からも参加者が訪れるほどです。「にいだの感謝祭」や「田んぼのがっこう」などは「お酒と人を育てる」という理念から開催しており、大人から子供まで誰もが楽しめるイベントとなっています。
仁井田本家の醸造現場を指揮するのは、18代目当主と杜氏の二役を兼任する仁井田穏彦氏です。仁井田本家が「自給自足の蔵」を目指し始めたのは、先代が生み出した「金寶自然酒」の影響が大きかったといいます。この銘柄はオーガニックの先駆けとして地域の有機栽培米を使用しての酒造りを行ってきました。そして、2003年からは「地域の田んぼを守る酒蔵」を使命に掲げて自社田で有機栽培による酒米栽培を開始しました。現在も田村町金沢地区の自社田は仁井田本家の蔵人総出で酒米造りに携わり、仁井田本家の酒造りで使用する酒米を栽培しているそうです。また、2010年には仁井田穏彦氏が歴代当主初となる蔵元杜氏に就任しました。順風満帆に蔵の改革を行い、仁井田本家の酒は首都圏でも評価されるようになっていたそうです。
売上を順調に伸ばしながら、会社の規模を拡大していた矢先に悲劇が襲いました。2011年に発生した東日本大震災の影響で酒蔵は被災してしまい、原発事故に伴う風評被害の影響も大きかったそうです。気が付くと、東京よりも西の特約店は無くなってしまいました。今までは右肩上がりだった売り上げも右肩下がりに停滞してしまい、相当なショックと不安に襲われていたそうです。第2子を妊娠中だった女将と子供を東京に避難させていたため、仁井田穏彦氏は1人で自宅で過ごしており、そのなかで「1000年に1度の大災害が、なぜ自分の世代で起こるのだ」という後ろ向きな感情にも陥りましたが、それと同時に嘆いていても仕方がないという前向きな気持ちも沸いてきたそうです。そして、自らに対して「この時代に選ばれたのだと」言い聞かせて、仁井田本家の存在を多くの人に知ってもらうためにイベント出店などで、県内や県外に魅力を発信していったそうです。
東日本大震災後は仁井田穏彦氏の心境にも変化があり、短期の結果を追い求めることに注力するのではなく、時間が掛かることでも必ず実を結ぶような事業を行っていくように心掛けるようになったそうです。次世代に良い状態で酒蔵を引き継いでいけるようにと常に未来を意識しながら酒造りを行っているそうです。その一環として、2020年からは先々代が植林してくれた自社山の杉材で木桶をつくることに着手しています。琺瑯タンクから木桶に随時切替えていくことで、酒造りに関連するものをすべて自給自足することを目指していくそうです。これからも次世代に酒蔵を継承することを意識しながら、自然に回帰した酒米栽培と醸造方法で、豊かな自然環境を未来に残す酒造りを行っていきます。「にいだしぜんしゅ」が次の時代のスタンダードになるための挑戦は続いていきます。
文:宍戸涼太郎
写真:石井叡
編集:宍戸涼太郎