愛知県西尾市で「奥」を醸す、山﨑合資会社。別名である尊皇蔵元の創業は1903年、「尊皇」は1920年に初代が生み出した銘柄のひとつであり、真宗大谷派の祐正寺に「尊皇奉佛」という額が掛けられていたことに由来するそうだ。また、「奥」は愛知の酒米「夢山水」を使用した銘柄で、4代目蔵元・山﨑厚夫氏が考案。三河湾国定公園に属する三ヶ根山麓の良質な軟水を汲み上げて活用しながら、「日本酒の奥深さを追求する」という想いのもとに造り続けている。
「奥」は香りが華やかでいながらも、濃い味わいの酒造りを合言葉にしており、アルコール度数も18%以上に設定する。近年の日本酒業界は酒質の軽快さを表現する酒造会社が多い傾向にあり、尊皇蔵元のような重厚感を追求する酒造会社は珍しく、他社との差別化にも繋がったことで注目を集めている。尊皇蔵元の出荷割合は県内70%、県外30%という数字からも、地元で愛されてきた酒蔵であることが分かり、濃厚な赤味噌を使用した郷土料理と尊皇蔵元の濃い味わいである日本酒の相性の良さが伺える。
これまでの尊皇蔵元は決して順風満帆に歴史を繋いできたという訳ではなかったそうだ。4代目蔵元が日本酒の低迷期を乗り越えるために世に送り出した「奥」が生み出される前までは焼酎ブームの煽りを受け、生産石数は減少の一途をたどり、廃業も検討していたほどだったという。しかしながら、山﨑厚夫氏が4代目蔵元に就任して間もない頃に思い切って設備投資を行ったことが幸いして酒質の向上と品質の安定化に繋がったことで、尊皇蔵元の評判が広まったそうだ。また、「奥」を特約店銘柄として2002年に発売したことで、首都圏や愛知県内の地酒専門店からの注文が増えていったそうだ。それからは生産石数を回復させながら、山﨑厚夫氏が中心となって、組織の体質改善と方針転換に着手した。その結果、2015年頃には日本酒ブームも追い風となり、海外の出荷量も順調に伸ばしながら、次の経営計画を設定できるまでに経営を安定化させることにも成功したそうだ。
しかし、その矢先に尊皇蔵元にまたも危機が訪れる。2016年9月、4代目蔵元が50歳という若さで妻や高校生の息子らを残して急逝。尊皇蔵元は今まで会社を牽引してきた大黒柱を失った。残された蔵人や家族たちは途方に暮れる状況で、廃業の可能性も頭に浮かんだという。しかし、4代目蔵元の従弟に当たる存在である山﨑裕正氏が地元の信用金庫で勤務していたのだが、銀行に即刻で辞表を提出して家業である尊皇蔵元を継いだ。サラリーマン銀行員から蔵人への転身には不安も付きまとったが、今まで自分を何不自由なく育ててくれた感謝と父からの相談を断ることはできなかった。大吟醸ですら説明できない状況だったそうだが、専務の立場として酒蔵の経営に携わりながら、日本酒の知識を徐々に深めていったそうだ。以前までは「山﨑厚夫が造る酒」という言葉で売っていたのだが、もう4代目蔵元のチカラを借りることはできない。山﨑裕正専務は「自分はどのようにしたら日本酒を売ることはできるのだろうか」という課題と真剣に向き合いながら、全国各地の酒販店への営業活動を熱心に行ったそうだ。酒販店の売り場に立って日本酒を試飲してもらう仕事も繰り返した。自分ができることを愚直に繰り返してきたことで、取引先の酒販店とも信頼関係を築くことができて、4代目蔵元とは違ったスタイルを8年間で構築できたのではないかと振り返る。
そして、2023年には4代目蔵元・山﨑厚夫氏の息子が大学を卒業して蔵を継ぐために戻ってきたそうだ。山﨑裕正専務は嬉しそうな表情で「これからは一歩引いたところで、彼をサポートできたら」と嬉しそうな表情を浮かべる。6代目蔵元候補の山﨑真幸氏は亡き父の背中を見ながら育ち、叔父が銀行を退職して酒蔵を継いで孤軍奮闘する姿を見てきた結果、いち早く酒蔵を継いで家業を支えていきたいという気持ちが高校生の頃から芽生えていたという。まずは、山﨑裕正専務が経営と営業活動に奔走してきた結果、補えなかった製造面の部分を支えていけたらと意気込む。一昨年からは酒類総合研究所や佐渡の酒蔵で酒造りを学び、酒造りの基礎を習得した。同世代の活躍から良い刺激を受けて、有意義な時間になったと振り返る。
また、昨年には更なる酒質の向上を追求するために、鮮度を保つことを目的として冷蔵倉庫を新設し、温度管理の出来る環境下での上槽を行えるようになった。そのほかにも枯らし部屋や麹室も新設。すべては4代目蔵元から受け継いだ「本物の味を求め続けて、妥協なき職人魂を守り抜く」ために。山﨑裕正専務は銀行員として培ってきた知識を活かしながら酒蔵の経営に専念し、6代目蔵元候補の山﨑真幸氏は飽くなき探求心と情熱、行動力を活かして、尊皇蔵元の酒造りをより良いものとするために磨きをかける。いちから工程を見直し、焦らず着実に前進していきたいと語る。2人に共通する部分は目の前の結果に囚われていないところだろう。それも4代目蔵元・山﨑厚夫氏が土台を築いていたからこそ、遺産として少しの時間と余裕を残すことができた。この状況に2人は感謝を忘れない。息子と叔父の二人三脚での挑戦は始動したばかりだ。確実に、着実に、階段を上がりながら、新たな境地を目指して突き進んでいく。亡き父も最高の美酒を追求する息子を誇らしげに天国から見守っていることだろう。
文:宍戸涼太郎
写真:石井叡
編集:宍戸涼太郎