美冨久酒造は滋賀県甲賀市に所在する。江戸時代には交通の要所として栄えた、東海道五十三次・五十番目の宿場町「水口宿」の街道筋に蔵を構える。滋賀県甲賀市は琵琶湖の南に位置し、甲賀忍者の里としても有名で「甲賀の里 忍術村」や「甲賀流リアル忍者館」が観光名所として賑わう。また、日本六古窯のひとつに数えられる信楽焼も甲賀市信楽町を中心につくられ、「滋賀県立陶芸の森」では信楽焼の世界に触れることができる。甲賀市内には9軒の酒蔵が存在し、滋賀県内で最も酒蔵の多い地域となっている。

美冨久酒造は1917年創業の酒蔵で、縁起の良い酒蔵の名の由来は2代目蔵元が命名し、「美しく、冨くよかな状態が、恒久に続きますように」との願いが込められている。蔵は滋賀県愛知郡愛荘町に所在する藤居本家から分家して誕生し、初代は水が酒造りに向いていることから水口宿に蔵を建てたそうだ。野洲川の伏流水で醸された酒は軟水で、口当たりが良く柔らかな酒になるそうだ。美冨久酒造は、蔵に漂う乳酸菌を活用する醸造技法「山廃仕込」と現代の醸造技法「吟醸仕込」で酒を醸している。山廃仕込で醸された酒は「美冨久」という銘柄で展開され、酸が特徴的な濃厚で重厚感のある酒になる。山廃仕込と吟醸仕込の2つの製法で醸された日本酒は2つのコンセプトを掲げて生み出されている。

美冨久酒造は現在、4代目蔵元の藤居範行氏が中心となり、酒蔵を牽引する。4代目蔵元になったのは2016年で、3代目の父親が大病を患ったことで就任した。学生時代から家業を継ぐことは意識しており、大学卒業後は岐阜県揖斐郡の所酒造にて3年間の修行を行った。2005年夏に修行を終えて、実家に戻った頃は日本酒業界に逆風が吹き荒れていたと振り返る。この頃の美冨久酒造は東京市場への販路はなく、地元の酒販店が主な卸先だった。もうひとつは「桶売り」という自社で醸した酒を他の酒蔵に売り、売上をつくっていたそうだ。兵庫県神戸市の剣菱酒造に桶売りをして、剣菱酒造が指定する味わいの酒を醸して納品していた。

2020年、剣菱酒造が全量自社醸造に方針転換したことで酒蔵同士の関係性は終わってしまったが、4代目蔵元は「剣菱酒造さんのおかげで山廃を何本も仕込むことが出来て経験値を積めた」と感謝する。また、実家の蔵に戻ってきた年の冬には、剣菱酒造で山廃造りを学ばせてもらったそうだ。実際、美冨久酒造の山廃仕込の日本酒は定評があり、消費者からは「山廃らしい酒でありながらも優しい味わい」と評価される。そして、4代目蔵元は家業を継いで間もない頃に父親に連れられて、東京市場の調査に出掛ける機会があり、「美冨久」とは別の銘柄を立ち上げる必要性を感じたという。

そこで誕生したのが「三連星」という銘柄だ。「3人の若手蔵人が中心となり酒を醸す」「吟吹雪・山田錦・渡船六号の3世代、3種類の酒米で醸す」「定番酒・限定酒・季節酒の3通りの酒」という、3つのコンセプトが銘柄の由来になったそうだ。星のように輝く酒を目指して、フレッシュ感のある味わいに仕上げる。東京市場ではユニークなラベルデザインとフレッシュな味わいが評価され、大きな話題になった。「三連星」がアンテナとなり、美冨久酒造を応援してくれる人も増えたという。また、観光客も県外から訪ねてくれるようになり、蔵の直売所も賑わうようになった。

2021年には日本酒カフェ「薫蔵 ~KAGURA~」を開業し、日本酒の魅力を発信する飲食スペースを新設した。今後も、山廃仕込の「美冨久」と吟醸仕込の「三連星」の2枚看板で、日本酒の魅力を発信していく予定だ。次々と構想を実現させていく酒蔵は地域の希望の星だ。今後も4代目蔵元の挑戦からは目が離せない。まず決める。そしてやり通す。それが何かを成す時の唯一の方法だと信じて。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡

編集:宍戸涼太郎