信州亀齢 蔵レポ

真田昌幸が築いた難航不落の城”上田城

上田城の東虎口櫓門と北櫓。

長野県上田市の名城“上田城”は真田幸村の父、真田昌幸によって築城されました。上田城は第一次、第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城としても有名で日本百名城や日本夜景遺産にも登録されています。

信州名物の“信州そば”

有名店「草笛」の七割蕎麦。

七割蕎麦という古くからの伝承製法で生まれた信州蕎麦は蕎麦の豊かな風味が特徴です。信州は″蕎麦切り″発祥の地と伝えられており、長野県は昼夜の寒暖差が大きく、水捌けが良い点や山地の畑が蕎麦栽培に適しており、良質な蕎麦が穫れることから″信州蕎麦″として全国的にも有名になりました。信州蕎麦は風味が良く、高原の冷たい水で締めるため、そのツルリとした喉越しが特徴的です。

大河ドラマやアニメの舞台でも有名になった長野県上田市

映画″サマーウォーズ″でモデルに採用された上田城の東虎口櫓門。

真田三代の郷として知られる上田市は古くから信州の政治や文化の要所として歴史を紡いできました。その上田市は2016年にNHKにて放送された”真田丸”の舞台でもあり、戦国乱世の最後を飾った勇将・真田幸村の人物像や上田市に残されている史跡等が放送後に注目を浴びて、観光客で賑わいました。ほかにも、細田守氏が監督を務めた映画「サマーウォーズ」は上田市が舞台となっており、「未来のミライ」では岡崎酒造がモデルとなった酒蔵が登場します。細田守氏の妻が上田市出身ということもあり、数多くの作品で長野県上田市が舞台として選ばれています。

信州亀齢を通して信州上田の魅力を伝える。

上田市の観光地″柳町の北国街道″。

岡崎酒造は創業1665年の歴史ある酒蔵で、長野県上田市"柳町"の地で350年以上″信州亀齢″を今日まで醸し続けてきました。柳町は北国街道の宿場町として栄え、かつて旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけで25軒も存在したと伝えられています。当時の面影を残す、風情ある街並みは白い土塀に格子戸のある特徴的な建築や古道具屋、蕎麦屋や上田名物の葫を効かせた"美味ダレの焼き鳥"を提供する居酒屋、天然酵母で発酵させるパン屋やご当地スイーツなどが楽しめる魅力的な店舗が並んでいます。

信州亀齢の暖簾。(以前までは白の暖簾だったそう。)

仕込み水は信州の名水として知られる菅平水系の水を使用して、地域貢献の観点からも″ひとごこち″や″美山錦″などの長野県産の酒米を積極的に用いた酒造りを大切にしています。信州の魅力を詰め込んだ″信州亀齢″を醸造することで信州上田に注目が集まり、酒蔵として社会問題にもなっている地方の過疎化現象に一石を投じたり、地域活性に貢献できるのではないかと地域の活動団体と連携しながら構想を膨らましているそうです。江戸時代には各地方で機能していた酒蔵を中心とした地域コミュニティの形成を再現できるのではないかと岡崎杜氏は語ってくれました。

岡崎酒造の杉玉と看板。

″稲倉の棚田″を未来に繋ぐ。

稲倉の棚田の景観

″信州亀齢″を醸す岡崎酒造は地域の観光資源である棚田を未来へ残すために棚田の保全活動にも取り組んでいます。岡崎酒造の原料米として使用する″ひとごこち″の仕込みの一部を稲倉の棚田で栽培された酒米を用いて酒造りをしています。日本棚田百選にも選出されている稲倉の棚田で子供から年配の方までが一緒になって田植えから稲刈りまでを協力して行い、酒米栽培に取り組んでいます。棚田は作付け面積が小さく、トラクターが入れないなどの作業効率性が低いため耕作放棄地になってしまうという解決しなければならない深刻な問題があります。そこで、信州亀齢の原料米を栽培してもらい岡崎酒造が相場よりも高い値段で酒米を買い取ることで農家の収入は安定し、農業を継続してもらうことで稲倉の棚田の保全に繋げることがポイントだと岡崎杜氏は話してくれました。現在は田んぼのオーナー制度という形式を採用しており、田植えと収穫の時期には都心からも多くの参加者が農作業のために来訪するそうです。田んぼの必要性を多くの方に認知していただける魅力的なイベントを開催し、信州亀齢を醸していくことで棚田を未来へ繋いでいきます。

稲倉の棚田で栽培する″ひとごこち″。

若い夫婦が起こした"信州亀齢"の奇跡の物語

岡崎酒造12代目蔵元の岡崎美都里氏。

岡崎酒造を2003年から牽引するのは12代目蔵元の岡崎美都里氏です。美都里氏は岡崎家の三姉妹の末っ子として生まれ、長女と次女は違う仕事に就いていたこともあり、親が楽しそうに酒造りをしていた姿や、冬に若い蔵人が来て酒造りする様子を見て、蔵を継ぐことを決意したそうです。2人の姉は蔵を継ぐ気がなかったこともあり、「だったら私が継ぎます。」という感覚で12代目蔵元に就任しました。女性杜氏は日本に20人前後と珍しい存在で、数少ないうちの1人が岡崎美都里氏です。経歴は酒蔵を継ぐための準備という意味合いで、東京農大で醸造学を学んだ後に大手酒販売会社に就職し、酒蔵と酒販店の関係性や流通、経営ノウハウを習得して、岡崎酒造に戻ってきました。そして、岡崎酒造の前杜氏からも技術を学び、信州の米と水、蔵人たちと醸す綺麗な日本酒を目指し、2003年に岡崎酒造の杜氏に就任しました。

岡崎謙一代表。

それから、岡崎美都里氏は東京農業大学時代に同じサークルに所属していた岡崎謙一氏と結婚されて、2013年から夫婦二人三脚での酒造りが始まりました。岡崎謙一氏は現在、岡崎酒造の代表を務めています。2013年までは岡崎謙一氏は岡崎美都里氏とすでに結婚されていたのですが岡崎酒造での仕事を選択せず、第三者の立場として岡崎美都里氏に意見を伝える程度で介入することはなかったそうです。岡崎謙一氏が岡崎酒造に入社しなかった理由は東京都庁で勤務しており、岡崎酒造の蔵がある長野県上田市から東京都庁まで新幹線通勤をしていたからです。

2015年に関信越国税局酒類鑑評会の最優秀賞を受賞。

その様子は新聞でも伝えられ、地域では有名な話だったそうです。東京都庁を退職した後の2013年からは夫婦2人、二人三脚での酒造りがスタートしたそうです。しかし、岡崎謙一氏が語ってくれた内容は今の信州亀齢からは全く想像の付かない厳しい状況や環境が思い浮かんできました。2013年は試行錯誤の連続で、蔵は廃業寸前、良い酒を醸す為に必要な資金や道具も十分な状態ではありませんでした。そこで未来のミライに信州亀齢を繋げていく為に頼った人物が岩手県二戸市で南部美人という銘柄を醸す、株式会社南部美人の5代目蔵元の久慈浩介氏でした。久慈氏とは東京農業大学時代の先輩後輩関係で青春時代を共に過ごした仲間でもありました。久慈氏から伝えられたことは「環境が十分では無くても、美味しい酒は醸せる、今できることを最大限にやろう」というアドバイスでした。

そのアドバイスを忘れず胸に刻み、夫婦2人でまだ夜が明ける前から夜遅くまで酒蔵での作業を続け、いくら終わりが遅くなっても目標としていた丁寧な醸造から逃げることはありませんでした。その圧倒的な努力が実を結び、2015年に開催された第86回関東甲信越国税局酒類鑑評会にて最優秀賞を受賞しました。表彰式では喜びが爆発し、当時の苦労を思い起こして自然と涙が溢れ落ちたそうです。

ギャラリーでは、美しく飾られた信州亀齢が展示されています。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡