


安芸津町は瀬戸内海が広がり、長閑な風が吹く穏やかな町。晴天が多く日照時間も長いことから過ごしやすい。食文化も豊かで、特産品には温暖な気候を活かして育てられた檸檬や琵琶などの果物や、豊かな瀬戸内海が育んだ牡蠣や真鯛の産地としても知られている。

まるで流行のCDジャケットを連想させような、陽気でポップな「於多福」のラベル。酒販店の陳列棚の中で最も目を惹くデザインだ。日本酒に詳しくない若者が、何となく「ジャケ買い」してくれそうな日本酒を造るのには狙いがあった。柄酒造の9代目蔵元である柄総一郎さんは、2020年秋に安芸津へと戻って家業の酒蔵を継いだ。それまでは東京都内の照明メーカーに勤務しており、当時は父親から家業を継ぐことを反対されていたこともあり、酒蔵を継ぐことは一切考えていなかったという。地元の高校を卒業すると、芝浦工業大学への入学を理由に上京。そのまま都内で就職先を決めて結婚して充実した生活を送っていた。まさか自分が家業を継ぐことになるとは、まったく想像していなかったのだが、都内で会社の同僚たちと飲み会に行き、メニュー表一覧から同僚が故郷の酒を何となく注文し、訳も分からずに美味しいと飲んでいる姿が印象に残っていたことから、もし家業を継ぐことになったら、地域性を表現した日本酒を造りたいと考えるようになったという。

そして2020年春、突如として新型コロナウイルスが大流行。世界中が未曽有の事態に陥り、経済活動は完全にストップしてしまう。総一郎さんは家業の酒蔵の経営が心配になりはじめていた。かつての安芸津は「広島杜氏の故郷」として、数多くの酒蔵が酒造りを行っていたという輝かしい歴史があるのだが、現在は若者の日本酒離れなどの消費量の減少から現在は2軒の酒蔵を残すのみとなっている。「自分が酒蔵を継がなければ安芸津の酒造りの伝統や歴史がなくなってしまう」。また、「地域の人たちから愛されてきた柄酒造を残していきたい」。自分が9代目蔵元として蔵を継いだら、このように酒蔵の立て直しを図っていきたいという想像を膨らましていた。しかし、8代目蔵元で父親の宣行さんの考え方はまったく違っていた。日本酒業界は斜陽産業で「自分の代で酒蔵は畳むことを決めているから酒蔵を継ぐ必要はない」。自分の息子には苦労してほしくないということからも、「酒蔵を継いでも食べていける保証はないから反対」というのが宣行さんの意見であった。

新型コロナウイルスが流行する前、2018年7月に芸南賀茂地区に甚大な被害をもたらした西日本豪雨。柄酒造も腰の高さまで浸水。蔵の中は泥だらけになってしまったことで醸造設備の大半が故障してしまい、宣行さんは本格的に酒蔵の廃業を検討していた。「このタイミング辞めても誰も文句は言わないだろう」と覚悟を決めていたのだが、当時、映画「恋のしずく」に酒蔵がロケ地として選ばれていたことから監督やスタッフ、地域の方々が清掃のボランティアを申し出てくれる様子を、総一郎さんは部外者の立場として眺めていた。その際に「自分は酒蔵の跡取りとして再建する使命がある」という覚悟を決め、東京での仕事を2年かけて区切りをつけて退職し、故郷へと戻った。

その時期は新型コロナウイルスの感染症対策で社会は完全にロックダウン状態。酒販店への営業活動や日本酒のイベントは軒並み中止になっていたことで、父から経営を引き継ぐ準備や醸造技術を教わることに時間を割くことができた点だけは不幸中の幸いであったという。父は倹約化で売上は少なかったものの、上手に経営をやり繰りしていたことも酒蔵を存続できている理由のひとつに挙げる。

柄酒造のある東広島市安芸津は「広島杜氏の故郷」であり、「吟醸酒の父」と呼ばれる、明治期の醸造家・三浦仙三郎が創案した「三浦式醸造法」の伝統を継承する酒蔵として、「9代目於多福」を表現する。日本酒(火入れ)を開栓する際にも「ポン!」という高い音が響くほど、発酵由来の微かな炭酸ガスを含んだ酒質は、フレッシュな果実香が特徴的でみずみずしくジューシーな味わいである。そして、可愛らしく、広島らしい、9代目於多福のポップなラベルデザイン。これで「若者の日本酒離れに歯止めをかけたい」。「新しい飲み手の方々が親しみやすい日本酒を造りたい」との想いから、9代目蔵元は広島県内の酒蔵の杜氏にアドバイスを求めて、更なる酒質の向上を目指している。実際に日本酒イベントでも妻からの助言で誕生した可愛いらしいデザインが女性から高い評価を集めている。

総一郎さんは酒蔵の役割のひとつとして「日本酒は地域の風土を表現する名刺的な役割を担う」ことを挙げている。東京や大阪などの県外に出荷する際には、広島・安芸津の気候風土を感じてもらえるようにと、広島・安芸津の軟水と広島県を代表する酒米「八反錦」を使用して酒造りを行う。そうすることで広島らしさや安芸津らしさを表現していけたらと語る。

ラベルデザインは広島でお馴染みの「お多福」のイラストが描かれており、酵母は9代目にちなんでソースを絡めた食事とも好相性な9号酵母を採用。創業1848年の柄酒造の当初の創業は、広島藩の米蔵のあった地で海運業を営んでいたのが始まりで、さらにお米を活用した事業を行うことで、お米の価値をあげていきたいという構想から酒造業を興した歴史を持つ。輸送船の名前が「於多福丸」であったことに由来して、現在でも「9代目於多福」の名前が引き継がれている。西日本豪雨で被災し、地元の方々からの支援を受けて再生を果たした酒蔵から、杜氏の故郷である「東広島安芸津」を発信する役割を担いながら、楽しくワイワイとした賑やかな食卓に似合うような美味しい酒を届けていく。そして、穏やかな町のなかで安芸津を盛り上げ、地域の酒蔵としての使命を果たす挑戦は続く。









文:宍戸涼太郎
写真:石井叡
編集:宍戸涼太郎