Q.もし旭酒造の3代目蔵元として生まれていなかったら何をしていましたか?

うーーーん、旭酒造の蔵元に生まれていなかったら、、、。まあ使い物にならんね(笑)。 よう言うんやけどさ、、。 酒蔵やったからなんとかなった。考えてみると若い時、勉強できん、スポーツできん、なんもできん。これはまぁ、家業の酒蔵ぐらいしかできんね。家業でもある酒造業が「最後の砦」やったからさ。酒蔵がなかったら自分はまぁ大したことないね。酒蔵を父親に辞めさせられて、父親が亡くなり、酒蔵に戻ってくるまでの期間、石材屋を経営して軌道には乗っていたけども、僕の感覚的には、本業じゃなかったね。生活の為にする仕事という感じ。家内の親から紹介されて始めた仕事だったし、石材屋の仕事に対して完全に納得できてなかったのかもしれないね。 それと、、、勝ち負けみたいなもんでしょ! 仕事は何だかんだ言っても、勝ち負けでハッキリと分かれてしまうから、意地でやっていた部分はあるかなぁ。石材屋として売り上げを出して、まぁ、、、勝っていく感覚というか、成功していく感覚が面白かったのは確かやねぇ。でも僕にとって、酒蔵の仕事とはやっぱり違うよね。酒蔵というのは、酒を造って、売っていくんだけども、その酒を造るという技術的な部分での挑戦もあれば、酒造りは結構複雑やから、いろんな失敗もあったり、成功もあったりと。だから酒造りの仕事は面白いんです。そして、完成した酒を売っていくのって、ただその辺にある在庫を売るのとは全く違って、ある程度マーケティングが必要よね。マーケティングを学ぶ必要も出てくる。ここにも、やっぱり、 いろんな失敗もあったり、成功もあったりと。 だからこそ、商売としてやっていく。なにか大きな達成感のようなものがあるよね。そこが感覚的には確実に違う。ただ、例えば石材屋で生まれた人だと石材という仕事に対しての思い入れは違うだろうね。やっぱり僕にとっては旭酒造に生まれたというのが大きいよね。

Q.全国には家族経営規模の酒蔵が多数のなかで、旭酒造が家業の域を超えて、企業へと変貌を遂げようと決意した時期と動機についてお聞かせ下さい。

いやぁ、旭酒造はずっと家業ですよ!言い方を変えるとすると、ファミリービジネスかな!海外に行くと、やっぱり思うんやけども、海外でなくても、国内でも他業種の取引先の人たちと話すじゃない?その時にやっぱりオーナー企業ではない企業の弱点で、最後はどうしても信用できない部分が出てきてしまう。家業というのは、最後の最後まで経営者個人の責任やから。収入の部分とかも全て含めて、自分の責任。世界に出て獺祭を売る時にも、それは感じるよね。うちはファミリービジネスで、獺祭って僕が個人で生み出して、次に繋いで、そこから絶対に逃げない。それが大事。結局、一般の企業はその時の景気や会社の経営状態で逃げたりすることもあるけど、うちにはそれは絶対にない。他社の酒蔵の方がよっぽど企業的になって、どんどん変わっていってしまう印象や、その時の苦しい状況で逃げてしまう酒蔵もあるよね。僕にはそれが全く無かった。だから、企業としてブレイクスルーを果たした感覚もないんだよね。そういうタイミングは今まで一度たりとも感じなかった。ずっと、そのまんまよ。今もそうやしね。

Q.獺祭の名前の由来は?

もともと獺祭の前は、旭富士という銘柄だったでしょ。まあ売れなくて、、、。純米大吟醸が完成した際に新しいブランドをつくる必要があったんよ。東京市場なんかに旭富士で行くと完全に負け組だから。とにかく何か良いアイディアがないかなぁと、ずっと探してて。一生懸命考えた結果なんやけど、ここの地名が周東区獺越(おそごえ)という地名で、その (カワウソ) という文字が全く読めない。だから、この言葉を使いたいなと思っていたら、獺祭という言葉をひょこっと思い出して名付けた。だけど、その時は意味は分からんで、地元の図書館の館長に獺祭って何やっけ?て聞いたら、正岡子規の俳句やないか、ばかやなーって言われて(笑)。あーそうだ!それなら使おうと決めて。だから、獺祭。獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから。

Q.力強い文字の「獺祭」のデザインは、最初の「純米吟醸 獺祭」を発売していた頃から変わってないですよね?

それまでの日本酒業界のラベルなら、俗にいうラベル屋さんって言われとる印刷会社に委託するのが一般的やった。でも、印刷会社に依頼すると彼らもデザイン力には限界があり、 全部に違うデザインを施して売ってられなかった。 例えば1回デザインすると長野県とかにも売るわけよ、 同じデザインで名前だけ変えて。そうすると昔は県内だけの消費が中心やったから大丈夫だったけど、地元から東京市場なんかにも獺祭が売られるようになったから、「うちと同じデザインやわぁ。」ってなるわけ。 消費者泣かせだろうと。 これはやっぱり自分たちで制作しなきゃいけない。ということになり、地元の書道家の山本一遊先生に獺祭の文字を書いてもらった。

Q.現旭酒造4代目蔵元の桜井一宏氏に事業継承をする際に会長自身が懸念された点について教えて下さい。

息子に事業継承するというのはやっぱり大変は大変だよね。だって、経営者って大変でしょ、、。僕も親やからねぇ。だから、そんな辛いことは息子にはさせたくないよね。それが一番心配!出来が悪けりゃ、文句も言うやろうし、、、。ということは息子にとっては辛い事。もっというと経営者は本当に大変で、大企業の経営者って倒産したら記者会見で「どうも申し訳ございませんでした。」って頭下げたりするけどさぁ、中小企業ってのは、ほとんどの場合で銀行が付いとるから、銀行に対して個人資産で担保するんだよね。それが原因で、中小企業の経営者は生活の破綻で結構自殺率って高いじゃないですか。中小企業の経営者は破綻したら、かなりの確率で自殺してしまう悲しい現状があるよね。そういう所に息子を押し上げていくのは、やっぱり大変だよね。

Q.獺祭を世の中にPRする為に旭酒造が取り組んだことを教えて下さい。

一番簡単なこと!!それは、とにかく試してもらうこと。獺祭を飲んでもらう。「とにかく飲んでみてください!」と。これが全て。PRはいくらしたって価値ないよ。だから一番効果的なのは飲んでもらうこと。それと大切なのは、あらゆる機会に飲んでもらう為にいろいろな企画をやること。例えば、東京で定期的に開催していた「獺祭の会」なんかも、そのひとつ。他にも、一番最初に酒屋さんと獺祭を売る時に「このお酒は何と読むでしょう?」というクイズを出して、正解すると300mlの獺祭を1本プレゼントという企画を各酒屋さんにやってもらったよね。そういう意味では商品には自信があるからこそ、常に飲んでもらうことに全てをかける。あまり難しいことは考えない。

Q.桜井会長にとっての最も大きな失敗を教えて下さい。

まず、第一に経営者として考えれば、酒蔵を継ぐということが、そもそもの失敗よね(笑)。これほど投下資本利益率などの資本収益率が悪い業界に入る時点で間違っとるよね!酒蔵の方からしたら、僕が旭酒造の社長になったことが最も大きな失敗だよね(笑)。僕がいなかったらだんだん縮小する形で安楽死できる状況で、今まで酒蔵経営しとったのに。僕が酒蔵に入った途端に過剰投資に過剰設備、過剰人材、それに加えて過剰原材料でしょ、、、。普通だったら倒産するよね。普通の経営者だったら絶対やらない。まぁ、少なくとも最初の10年くらいは、知り合いの税理士とか中小企業診断士には決算書は見せなかった。内緒。「ほんまにこの金額か?」、「これすでに倒産してるやないか」って言われるから。普通の酒蔵やったら、そんなに危ない領域までいかんもん!うちの嫁さんがある日、他の酒蔵の様子がテレビで取り上げられているのを見て、「これくらいの業績なら、これくらいの生活や収入ができる」という事実を知ったらしく、僕に「あれ!?うちの酒蔵より、経営規模の小さい酒蔵なはずやのに、えらい生活がええんやけど!」と言ってきてね、、、(笑)。「それは当たり前で、そこの酒蔵は酒の品質向上の為に投資をしてないからさ、そりゃ個人の生活が良くなるよ。」と答えました(笑)。

Q.ニューヨークに酒蔵を建てる理由と狙いについて詳しく教えて下さい。

日本酒が国際化する為には、やっぱり現地生産しなきゃダメだということは、前からずっと言ってたんですよ!だから、例えばワインは、フランスやイタリアだけじゃなくて、カリフォルニアやオーストラリア、チリでもつくるし、世界各国、どこでも製造しているわけでしょ!日本でも、山口県でもワインを製造しているよね。だから、獺祭も現地生産がなきゃダメだって言ってたんだけどね!獺祭のアメリカ挑戦を協力してくれるところが現地にあったのがひとつ良かったこと。アメリカ市場を研究していると、日本酒がアメリカに入り込んでいるかというと、実際にはまだまだ入り込んでないよね、、。やっぱりこれが現地の生活に入っていくためには、現地で生産して、日本でやったのと同じように、いろいろなマニュアルの実験を繰り返して、ある程度の失敗も覚悟してやっていかない限りは成功しない。醸造している現場を現地の人に見てもらうのも方法だし、もしかするとアメリカの中で、今のお酒とは違う形で発展を遂げていく可能性もあるし、そういうのも全部ひっくるめて挑戦してみないと分からない。提案してくれた現地の人のおかげもあったから、このチャンスを逃したら次はないなと思ったね!

Q.獺祭がオンリーワンであり続ける為に取り入れている工夫について教えて下さい。

オンリーワンであり続けるとかそういう気もないけど、ただ美味しいお酒を造るためには全力を挙げているというのは確か。それが獺祭。

Q.獺祭の今後の展望をお聞かせください。

旭酒造は9月末日で決算なんやけども、現時点ではハッキリとは言いきれんけど史上最高の売上金額になるかもしれない。やっぱり、海外の売り上げが大きかった。ただ、外国へ売るというよりは、売れるところで売るという考え方。「旭富士」の頃は山口県では全く売れなかったし、山口県の岩国で4番目の酒蔵やったから販路をつくろうと必死やった。「獺祭」で東京市場に出た時は、岩国の人とか地元の人に、旭酒造は山口を見捨てたって言われたよね。それまで、そんなに応援してくれてなかったのに、、。それから酒質も変わっていったから、「酒は俺たちが飲んできた旭酒造の酒と違う」って厳しいこともかなり言われたんよ、、、。だけど、決断は間違ってなかった。東京市場に進出したから、今があるわけで、その当時と同じように、今起きているのは海外の売り上げが凄く伸びてきている。だから今回も間違ってない。だからといって国内市場に対して諦めたという訳ではなく、国内市場の期待にもしっかりとお応えする必要もある。国内のお取引先も大切にしていきたい。それともうひとつ今後大事にしたいのは、何をやろうとしているかという部分。それは旭酒造のキャッチフレーズ、「山口の山奥の小さな酒蔵」の「小さな酒蔵」に違和感をずっと感じていて、「小さな」と言っているところが、自分のなかに、どこか「地元の酒蔵意識からふっきれていない感覚」があるということに気が付いた。だから、「山奥の小さなじゃなくて、世界一の酒蔵にしちゃえばいいんじゃないか?」って言ったのよ。だって、純米大吟醸の製造量が日本一なんやから。日本酒の世界での日本一は世界一という意味になるやろ。だけど、ちょっと冗談みたいで、お客さんからしたら、世界一の酒蔵ってのは、ちょっとまずいなぁと思って、、。まずは、「山奥にある酒蔵」に変えようと。小さなという言葉は外そうよと思って。今後は「山奥にある酒蔵 獺祭」に変更する予定なんよ。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡