新しい日本酒文化の発展について探求する酒蔵“黒松仙醸”

天下第一の桜の名所としても有名な信州高遠のまち。

天下第一の桜“タカトオコヒガンザクラ”

長野県伊那市の高遠は昔から城下町として、地域の経済の中心として大きく発展してきました。1582年には武田信玄の五男の仁科五郎信盛が織田軍に攻め落とされて落城したという史実も現在まで語り継がれています。

創業者 “黒河内松治郎”

江戸時代末期にこの地に酒造業を興したのが、当社の創業者でもある黒河内松治郎です。太田屋の次男の松治郎ということで、屋号は太松という名前になったそうです。

戦後に太松酒造店が町内の酒蔵と合併し誕生した“高遠酒造株式会社”

当時の高遠藩は維新前夜の尊王攘夷のもと、戊辰戦争を迎えます。藩校進徳館では近代的な教育が始められ、後の東京音楽学校初代校長となった伊澤修二など、名だたる偉人を輩出する進取の気性のある進歩した時代でした。

そして、黒河内一族のルーツは伊那市長谷の黒河内地籍にありますが、ここは源平の戦いの平氏側が逃亡して住み着いた場所といわれています。

松治郎が行っていた物流事業“太松倉庫運送部”

ペリーの来航以来、鎖国から開国への中で、松治郎はさまざまな事業を行いました。「小児健脾円」という胃腸薬の販売事業や馬などを使っての物流事業などを行い、その中の一つが酒造業でした。

“太松酒造店”の内装

幕末慶応2年の1866年の創業し、場所は現在の伊那市高遠町西高遠で酒蔵の名称は”太松酒造店”でした。

太松酒造店の建築の様子

酒蔵を新設して麹造りの技術を向上させ、美味しい日本酒を醸す。

長野県の名産品“信州そば”との相性も抜群です。

仙醸の代表銘柄は“黒松仙醸”と特約店限定商品の“こんな夜にシリーズ”です。地元向けの普通酒を含めても約2000石という生産量を誇り、地酒蔵にしては大きな蔵元なのが特徴的です。

1972年には瓶詰製品場と事務所を改築し、1984年には精米機の導入や醸造を創業の地である高遠町西高遠から、5kmほど離れた上山田に移転させました。

酒蔵の周りには田園風景が広がっています。

酒蔵の新設により、酒造りはより効率的で安定的に生産する環境を整えました。

麹を造ることを追い求めています。

しかしながら、1990年代に入ると日本酒の消費量が減少に転じ、日本酒市場も大きな転換期を迫られます。そこで仙醸は2005年に麹造りの技術を応用して作る麹100%の甘酒を発売しました。

繊細な手作業が味の決め手になります。

健康食品を製造することで日本酒に興味の無い人にも酒蔵を知ってもらえればという思いで造られたそうです。そして2017年には手造りで麹をつくれる麹室を33年ぶりに復活させ、より高品質で小仕込みの日本酒造りができる環境を整えました。

小仕込みによる酒造りは一級品です。

仙醸の代表である黒河内氏はこのやり方の方が美味しい日本酒を醸すことが出来ると話してくれました。またこれからの日本酒ファンは特徴的な日本酒を求めていく傾向が更に強くなることを想定して、小仕込みとクオリティーにこだわった酒造りに取り組んでいくそうです。

これから醸される“黒松仙醸”にも期待です。

そして、今までの酒造りの良い部分は残しつつ、新たな技術も取り入れながら”黒松仙醸”を醸していきます。

住所:長野県伊那市高遠町上山田2432

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