土佐酒の特徴はなんといってもキレ。いわゆる淡麗辛口タイプの味わいだ。そんな土佐酒のなかでも新しいという印象を受け、モダンな味わいをどこまでも追及する酒蔵が高知県安芸郡芸西村にある。仙頭酒造場という酒蔵で銘柄は「土佐しらぎく」を醸す。もともとは「志ら菊」という銘柄だったそうで、これは大正から昭和に著作家や歌人として活躍した吉井勇が「志ら菊は まことうま酒 杯をかさぬる程に 雄々 心の湧く」と詠むほどに仙頭酒造場の「志ら菊」をこよなく愛していたそうだ。由来は創業年の1903年に初代の仙頭菊太郎の菊に因み、白菊の様に清らかな美酒を醸したいという想いから命名されたそうだ。当て字は変われど今日に至るまで「しらぎく」という名前は大切にされ続け、実直に、そして真っ直ぐに受け継がれてきた銘柄なのだ。100年余り、土佐しらぎくは酒祝い(酒ほがひ)という晴れの日に相応しい気品のある美酒として、土佐人から愛されてきたのだ。

仙頭酒造場の杜氏は2005年から仙頭竜太氏が務めている。仙頭氏は一本気ある福岡出身の九州男児だ。そして、そこでひとつの疑問が浮かんでくる。なぜ、九州男児が「土佐しらぎく」を醸しているのか。それは竜太氏が令和の時代では珍しいさすらいの醸造家だからである。その醸造にかけた人生は紆余曲折のある人生で、決して平坦な道のりではなかったそうだ。竜太氏の醸造人生は福岡県久留米市の若竹屋酒造場でスタートさせた。ものづくりに興味関心があり、気勢で溢れた同氏は経験豊富な横尾杜氏のもとで醸造についてのイロハを学んだ。今まで醸造家として過ごしてきた長い期間のあいだで横尾杜氏のことを師と仰ぐ人物として挙げている。しかし、若竹屋酒造場の蔵人として働く期間に大きな挫折も味わった。それは、同じ立場の蔵人が2、3人いたのだが、竜太氏だけが唯一の文系出身だった。発酵は化学の世界なので現場では確実に理系が重宝される。そんな厳しい環境のなか奮闘を続ける裏で、蔵元や師匠、蔵人たちが「中川(旧姓)はもう限界なんじゃないか?」と話しているのをたまたま耳にした。胸が張り裂けるくらいのショックを受けたそうだ。それと同時に「何か違う武器を手に入れる必要がある。」と冷静になって自己分析し、違う流派の酒造りを学ぼうと寒さの厳しい地域である長野県千曲市に修行の舞台を移す大きな決断を下した。20代ギリギリだった竜太氏は突き進めるところまで挑戦してみようと覚悟を決め、師匠や蔵元からの言葉は愛のあるメッセージだと気持ちを整理した。

かつて、磯自慢酒造の杜氏を務めた経験豊富な瀬川氏が在籍する天法酒造で南部流醸造技術の研鑽を積んだ。以前の福岡県久留米市は暖かい地域での酒造り、今回は長野県千曲市ということで寒さの厳しい地域での酒造り。その両方を知っておく必要があると感じたそうだ。気候が変われば発酵経過も変わる。そして、発酵経過が異なれば仕事も変わる。気候によって微生物と人との距離感の詰め方が変わってくるのだと説明してくれた。圧倒的な経験量から知識を深めることが醸造家として成長できる唯一の近道だと気付いた瞬間だったそうだ。数々の成功体験から自信を取り戻した竜太氏は、更なる成長を遂げようと山口県萩市の澄川酒造場に舞台を移すことを決断した。「東洋美人」を醸造する酒蔵だ。そこで澄川氏から醸造に対する熱意を学んだそうだ。業界内でも一目置かれている日本酒と向き合う姿勢には後輩ながらに今も変わらず影響を受けているそうだ。その後は「醸し人九平次」を醸す、萬乗醸造の蔵人として1年間経験を積んだ。過酷を極める冬の醸造現場でヘルニアを患うまでの期間、萬乗醸造の美を追求する姿勢とそれを可能とする圧倒的な努力の必要性を学んだそうだ。

その後、都内の酒販店からの紹介もあり、高知県安芸郡芸西村で「土佐しらぎく」を醸す仙頭酒造場に籍を移した。人数不足の不安を残す体制のなかで即戦力となる人材を蔵元は探していたそうだ。当時の仙頭酒造の雰囲気はとても暗く、業績不振な経営状態で竜太氏は少しでも状況を好転させようと、各蔵で学び得た哲学を蔵元や杜氏、蔵人に惜しげもなく伝えた。杜氏を信頼しきり、全て任せるという方針を採っていた4代目蔵元には「もっと現場について知って欲しい」とリクエストし、杜氏には「自身の醸造に対する理想」を伝えたそうだ。そして、後の妻となる5代目蔵元の仙頭美紀氏には「思い切ってなんでもやってみたら」とアドバイスを促した。当時の美紀氏は都内の酒販店から戻ってきたばかりで、父である4代目蔵元や杜氏に想いを伝えることが難しいと考えていたからだ。会社が変わるためには社員全員が変わる必要があると感じていた。そして、竜太氏のひたむきな姿勢や経験豊富な醸造技術が認められ2006年に杜氏に任命された。それは、さすらいの醸造家からの卒業を意味し、高知県安芸郡芸西村に骨を埋めると覚悟を決めた瞬間でもあった。そして、次第に日本酒の品評会でも優れた成績を収めるようになり東京などの酒販店への販路拡大にも成功した。

竜太氏が杜氏に任命され、15年目を迎える今期からは積極的に新設備も導入し「土佐しらぎく」と向き合う予定だ。日本酒の新鮮さを保つために必要な設備である冷蔵倉庫内にヤブタ式の搾り機を設置したり、高湿度の高知で理想の蒸米を再現するために必要な放冷機も新調した。全ては安定した味わいの追求のため。実は仙頭酒造場は近年納得のいく酒造りが出来ずに不振に陥っていたのだ。竜太氏曰く、醪の発酵が上手くいかないという悩みをずっと解決できずにいたそうだ。「微生物と人の距離感」が掴めずにもがき苦しんでいた。解決を図るために疑問の残る点は2022年の酒造りが始まる前に全て片付けた。そしてもう一度、納得のいく2017年の「土佐しらぎく」を再現したいと筆者に意気込みを語ってくれた表情は真剣で頼もしかった。北は四国山地、南は太平洋。自然あふれる小さな村で「土佐しらぎく」の挑戦は続いていく。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡