日本3大酒処の1つとして数えられる伏見で「蒼空」を醸す、藤岡酒造。創業1902年の歴史が織りなす、赤煉瓦と漆喰、木造建築の対比が美しい酒蔵のなかには「酒蔵 Bar えん」と呼ばれる日本酒の購入と利き酒のできる場所が設けられており、落ち着いた空間で寛ぎながら日本酒を堪能することができる。藤岡酒造は伏見で最も小さな酒蔵でありながら、基本に忠実で丁寧な酒造りを心掛け、京都を代表するような銘酒へと飛躍を遂げてきた。現在は5代目蔵元の藤岡正章氏が中心となり、少数精鋭で「蒼空」を醸す。目標とする酒質については「青空を見上げた時にホッとするような酒」を志しているそうだ。
現在の藤岡酒造は伏見で知る人ぞ知る隠れた観光地となっているのだが、藤岡酒造には苦しい過去があった。1910年に伏見の地を選んで以来、順調に業績を伸ばしていき、最盛期には8000石ほどの製造石数を誇っていたのだが、3代目蔵元が1994年に急逝したことで担い手がいなくなり、翌年の造りを最後に藤岡酒造の酒造りは幕を閉じてしまった。当時は「万長」という銘柄を醸しており、地域で愛される存在であった。そこで、5代目蔵元は「幼い頃から身近な存在であった家業の酒造業をもう一度復活させたい」という感情が強く沸き起こり、最良の地下水である伏水を使った酒造りを再開させることを決意。まずは各地の酒蔵で着実に修行を重ねて、醸造技術を習得したそうだ。宮城県石巻市で「日高見」を醸す、平孝酒造の平井孝造社長は応援してくれる特約店を紹介してくれ、富山県富山市で「満寿泉」を醸す、桝田酒造店の桝田隆一郎社長には次期杜氏候補の蔵人を派遣してもらったという。藤岡氏は優しい先輩たちがサポートしてくれたから今があると振り返る。そして2002年、多くの人の支えのなかで、念願だった酒蔵の再建を果たす。藤岡酒造が今日に至るまでに大切にしてきたことは「量よりも質」を追求することだった。
「自分が好きな酒はブレない」。だから、「自分が飲みたい酒を造ることを大切にする。製造石数も230石と少ないこともあり、特約店販売だけに頼りきらずに直営店での販売も経営の柱に据える。そして、造り手の自らが納得する酒だけを愚直に求めて、「蒼空」を醸していく。大吟醸なしで3年間、自らが追求する酒造りを追い求めたことからも蔵元のこだわりがうかがえる。また、限られた人員で理想とする酒を醸し続けていくためには精神的な余裕が必要不可欠であることを理解していることから、一般的な酒蔵が1日に1本ずつ仕込みを行うところを藤岡酒造では1週間に1本ずつ、余裕を持って丁寧に醸していくそうだ。蔵人と共に常に向上心と三方よしの精神を忘れずに酒造りと向き合っていく。
また、京都は古くから文化の中心として発展してきた土地柄で、それゆえに優れた素材や技術が各地から集まってくる。京都のやきものとして知られる京焼を作陶する窯元もまた、やきものに適した土を各地から取り寄せて作陶に励む。藤岡酒造も似たような精神で、各地から理想とする酒米を取り寄せたり、夏でも涼しい風が吹き抜ける京都・大原地区で、地元の農家に協力してもらいながらキヌヒカリを栽培するなどして酒造りで日本酒を表現する。ベネチアのガラス瓶を輸入して、コルクで封をして酒瓶として活かすのも、あたらしさと伝統の交わる京都の交差点という雰囲気で実に心地が良い。自身の感覚を研ぎ澄ませながら、伝統を大切にして、飲み手の声を聞き、新しい京都の日本酒を創造していく。藤岡酒造にはさりげなさと常に新しい風が吹いている。
文:宍戸涼太郎
写真:石井叡
編集:宍戸涼太郎