まず、「曙」と「天明」は同じ意味を持つ単語である。辞書によると夜明け前や明け方を表す言葉だという。同じ言葉が名付けられた、曙酒造株式会社の「天明」は福島県鹿沼郡会津坂下町で生まれる。社名と銘柄名は、平均年齢30代の活気あふれる蔵の雰囲気にぴったりだ。目の前の通りである県道22号沿いには、ほかにも2軒の酒蔵が軒を連ねており、会津坂下町には透明な水が勢いよく用水路を流れる。その様子から、豊かな水資源に恵まれた土地であることが伺える。先代たちは、この水と会津坂下町の米に惚れ、酒蔵を開業したことは容易に想像がつく。

曙酒造の創業は1904年、創業者の鈴木幸四郎氏は地元の味噌蔵で大番頭の役割を担っていたのだが、地元農家が栽培する米の良さに着目し、独立して酒蔵を興したのが始まりだと伝えられている。また、曙酒造は日本酒の歴史のなかでも大変珍しい、女性が3代続いて蔵元に就任した蔵としても知られる。最近は女性蔵元・杜氏も増えてきたが、昔は酒造りの現場は女人禁制の時代があり、3代続けて女性が蔵元に就任することは珍しかったそうだ。現在、曙酒造の蔵元は優しい表情と安心感を醸しだす、鈴木孝市氏が担っている。それまで母が蔵元を担っていたが、2011年に母が病で倒れる。母に変わって、27歳の若さで杜氏に就任した。先代についての内容に話を戻すと、鈴木明美氏は「自分たちで自分たちの酒を造ろう」というスローガンを掲げて家業を継いだ。夫の鈴木孝教氏と共に福島県酒造組合が運営する清酒アカデミー(福島県会津若松市)に3年間通った。熱心に学んだ後に蔵へ戻ると、これまで南部杜氏に造りを一任していた杜氏制度を1997年に廃止。地元の人達と酒造りを行うという方針に切り替えた。今もなお、蔵の定番商品であり、地元を中心に流通している銘柄「一生青春」は、自分たちで初めて醸した日本酒だ。再出発の意味も込めて、この名前にしたそうだ。そして、1999年には問屋を通すことなく流通させる銘柄「天明」をリリース。

2011年に孝市氏が杜氏に就任するまで、両親は一生懸命に蔵を繋いできた。そして、孝市氏が蔵に戻るまでの経歴について振り返ると、高校を卒業後、東京農業大学に入学。しかし、家業を継ぐ前に社会経験を積みたいとの理由から、大学を中退し、東京の一般企業に就職。しかし、社会人2年目の2005年に杜氏である母の明美氏が病に倒れ、サポートに回っていた父の孝教氏も体調を崩し入院。このとき、仕事は充実していたのだが、孝市氏は両親を支えたいとの想いから蔵を継ぐことを決意。

今振り返ってみると、その時の「天明」は素人の自分でも分かるほどにまで酒質が劣化しており、不安な気持ちを抱きながら会津坂下町に戻ったそうだ。曙酒造入社後、間もなく酒造りの技術を習得するために両親と同じく、清酒アカデミーで醸造のイロハを学んだ。卒業後は蔵で一生懸命に働き、日本酒漬けの日々を過ごした。そのかいもあって次第に経営が安定し、順風満帆に歩みを進み始めた。その矢先に、またも困難な状況に陥ることとなる。2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生。最大震度7の大きな揺れで、製造設備のある建物3棟全てが半壊。倉庫に保管されていた日本酒は床に散乱。この年に製造した在庫の全てを失った。「もう酒造りは出来ないのではないか」という不安に襲われ、眠ることのできない日々が続いた。しかし、自らも被災し困難な状況のなか、少しでも地元の人たちを勇気づけようと、曙酒造はゼロからの再出発を決意し、蔵を新設。

そして、2011年冬、震災が発生してから1年が経たないうちに復活を遂げた。蔵に残ってくれた若手蔵人の2人と従兄弟の4人での再出発。「天明」をはじめ、次々に新作をリリース。そして、ヨーグルトリキュールの「スノードロップ」の売れ行きは好調だった。それも追い風となり、積極的に蔵の改修費に充てることができたのだ。様々な日本酒イベントに呼ばれるようになり、応援してくれる酒販店も次第に増えていった。孝市氏は、福島県は四季の移ろいが美しいこともあり、「日本酒を通して季節感を表現する」ことをコンセプトに据えている。

また、自身が大の食いしん坊であることも公言しており、酒が主役ではなく、「食事に寄り添う酒」を追求している。そして、それは福島・会津の豊かな食材や郷土料理の魅力を引き立てることにも繋がってくる。そして、「天明」が地域の魅力を発信し、地元の誇りになる。そこを真剣に目指していくことで、業界として課題となっている地域性をとり戻す。そして、「天明」は地域を照らしていく存在として、スポットライトのような役割を担っていきたいと蔵元は語る。銘柄が誕生して23年が経過し、日本酒愛好家のなかで知らぬ者はいないまでに成長を遂げた。目標としていた製造量には到達したが、あえて増石はせずに更なる品質向上を求めて邁進していく予定だという。再出発を誓った時と同じく、確実にステップアップを遂げながら、「天明」は深化していく。そこに奢りや妥協は一切も見当たらない。そして、曙酒造株式会社は進化の途中であるという謙虚な気持ちを忘れずに平均年齢30代、「チーム天明」の挑戦は続いていく。その穏やかな孝市氏の表情の裏側には、確固たる自信を覗かせていた。

文:宍戸涼太郎

写真:石井叡

編集:宍戸涼太郎