

Q1.
なぜクラフトサケの分野で
起業したのでしょうか?

2016年に日本で WAKAZE を共同創業して、2019年からはフランス・パリに進出、「KURA GRAND PARIS」の立ち上げに尽力しました。フランスでの4年半、最後の1年間は米国カリフォルニアにも長期出張しました。海外赴任を経て、日本にやり残したこと・日本でしかできないことがあると気が付きました。それが今の LINNÉ のテーマである「異素材の麹」です。そもそも、フランスを出発する時点では日本に戻らないつもりでフランスの醸造所「KURAGRAND PARIS」の立ち上げに出発しました。渡仏前には富山県富山市の桝田酒造店で修行させてもらっていたのですが、そこで中田英寿さんが酒蔵を訪ねてきた際に「日本に簡単に帰れると思わないほうがいい」という話を伝えてくださり、「俺もそうやってイタリアに向かったんだ」という貴重なアドバイスを聞いて、自分も腹をくくる必要性があることを強く感じていました。そして、日本で修行期間の3年と、追加で2018年創立の「三軒茶屋醸造所」の初代杜氏としての1年という期間は、自分のなかでは発見の連続でした。当時はボタニカルSAKE(現在のクラフトサケの前身)と呼んでいましたが、このジャンルの扉を開いた瞬間は目の前のものが全て素材に見えて無限の可能性を感じたことを思い出します。2017年にWAKAZE で史上初のボタニカル SAKE「FONIA」を委託醸造していた際には、飲んだ瞬間に未知なる味わいとの出会いに感動したことを忘れられません。例えると、水墨画で墨だけを使って絵を描いていたところに急に色彩を手にした感覚でした。どの色を使って、どんな絵を描こうという風になったのですが、ただ三軒茶屋醸造所では残された時間は非常に短く、1年でレシピを完成させて次に引き継がなければなりませんでした。結果的に一定のことは達成できたのですが、やり残したこともありました。日本酒の言葉で「一麹、二酛、三造り」という言葉があるのですが、これは酒造りにおける重要工程の順序を意味します。ボタニカル素材を日本酒に適応していくにあたり、やはり異素材での製麹が最も難易度が高いことは分かっていたので、 WAKAZE では麹に米以外のボタニカル素材を使用することは避けていました。まずは「三造り」にあたる醪に途中でボタニカル素材を投入する酒造りから始めたのですが、ジャンルを開拓するにあたり初めてのお客様から見たときにリキュールとの分類が区別しづらく、果たしてどこに本質的な面白さがあるのだろうかと疑問に思われる可能性がありました。次の三軒茶屋醸造所の時点では「三造り」と「二酛」、つまり酒母の段階まではボタニカルを応用し、いくつかの酒母製法を考案しました。その一つが東北の土着製法として伝承される「花酛」です。もともとは『諸国ドブロク宝典』に記載があって、実家の蔵書にあったので読み込んでいたところ発見することができ、これは立派な酒母製法だと思ってすぐに実践したことを覚えています。今、福島県南相馬市の「haccoba」というクラフトサケ醸造所など、花酛を活用する仲間もたくさん増えています。そのほかにも中国茶の七大分類のなかで「黒茶」と呼ばれる乳酸発酵の茶葉があるのですが、黒茶を煮出して仕込み水に用いたら乳酸液として活用できる点に着目して、「黒茶酛」を考案しました。こうしたこれまでの経験のなかで、異素材での「三造り」「二酛」までの酒造りは実現できていて、異素材での製麹を意味する「一麹」は既に頭の中で何度もシミュレーションを繰り返していたのですが、やはりリスクもあり最も難易度が高いことから、頭の中にアイディアを留めている状況でした。また、当時やれなかった理由について詳しく話すと、三軒茶屋醸造所には麹室がありませんでした。それで山形県酒田市の酒蔵である「オードヴィ庄内」から米麹を送ってもらっていたこともあって物理的にも難しかったので、WAKAZE では米麹は固定して、まずは掛米の部分での多様性から異素材の可能性を広げていこうという方針に決まりました。なので、異素材での製麹は片割れとして、手を付けずに残しておいたのです。僕がフランスで仕事をしているあいだに、いつか異素材での製麴を日本の誰かが挑戦するだろうと思っていたのですが、誰もやりませんでした。そして時は流れ、あれこれしているうちに WAKAZE の仕事で日本に帰ることになって、これは自分がやり残したことで挑戦する使命であると感じ、LINNÉ を創業しました。そして、これは日本でしかできない挑戦でもありました。なぜかというと、酒蔵経営の側面から考えると麹室の汚染や腐造の高いリスクを無視することはできません。国外はまだまだ麹菌自体の知見が相対的に少なく、その研究開発環境も十分そろっていません。日本の醸造技術の集積や人的ネットワークが揃って初めてスピード感と安定感を両立した開発ができると考えました。異素材の麹での SAKE 造りは、日本の酒類製造業の更なる発展に向けた大きな可能性を秘め、日本の“国菌”である麹菌による未知の宝が眠っているという高揚感も覚えました。このことから、世界で最先端をいく麹文化が発展している国である日本でLINNÉ は立ち上げる必要があったのです。そして、僕は日本に帰国してから最初の2か月間は九州の焼酎蔵を巡りました。焼酎は異素材で麹を造る世界最先端地であり、詳しく学んでおく必要を感じていたからです。基本的には焼酎も米麹を軸に据えて、掛けの部分で掛麦や掛芋、掛蕎麦という座組が多いのですが、この数十年のあいだに一部の焼酎蔵の造り手たちが芋麹や麦麹などの異麹での焼酎造りの可能性を切り拓いてきたことを知っていたので、そこの造り手の方々に直接教えを乞うために九州を巡りました。その期間は人生で最も焼酎を飲みましたが、焼酎の魅力は異素材の麹ならではの多元性、さまざまな異素材の麹が並列にある世界観にあらためて魅了されました。異素材の麹でのSAKE 造りは、これからの多様な時代に適合していると感じたことが腑に落ちた部分も大きかったです。全国でクラフトサケの醸造家が増えて、地域ごとにすごく面白いクラフトサケが誕生するようにもなりました。ただ、あるべき無限の可能性に比べると、クラフトサケ業界全体として突破できていない壁も大きいように感じています。先ほどの色彩になぞらえていうと、全員が「同じ筆」で絵を描いている方向に向かっていないか、色はいろいろあるけれど同じようなテイストに収束しかねない未来を危惧しました。例えるなら、色鉛筆やクレヨン、ポスカなどの様々な「絵筆(画材)」の拡張をしていくと、道具と色彩の掛け算で表現が最大化されると考えました。つまり、異素材の麹などで道具の数を増やしていくことで、表現の幅が無限になって限界突破していくのではないかと信じています。LINNÉ創業年でもある2024年には「麹を用いた伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。その話を前々から聞いていたので、そこが SAKE にとっての大きな節目になるだろうなとも感じていました。「ビフォアー・ユネスコ」と「アフター・ユネスコ」。そのような節目を明確に定義できなければ意味がないとも思います。私は以前から「日本酒を世界酒へ」という目標を掲げているのですが、今回の「伝統的酒造り」のユネスコ無形文化遺産登録が良い機会だと捉えていながらも、良い意味でも悪い意味でも酒造りの原料となる米に出来ること、出来ないことがあるという印象を持ちました。私は、フランスで酒蔵を立ち上げる前までは、米という素材のプラットフォーム上に日本酒の文化があり、日本酒文化は米の文化以上には大きくならないと思っていました。そして、米が主食ではない国の人々にも米の良さが伝わるような米を活かした酒造りを行っていくことで、米そのものの良さも広げていくことにも繋がり、やがてそれが伝われば日本酒の素晴らしさも広がるというイメージです。まさに「ビフォアー・ユネスコ」では米の上に日本酒が積まれているイメージなのですが、日本酒が多様化した未来では米と日本酒の位置関係を逆転させなければならないと思いました。なので、LINNÉ では SAKE の大きなプラットフォームが地球上を覆って、その上に米が中心にあり、いろいろな素材が並立している未来を創造することが目標です。その逆転の起点となる節目が2024年のユネスコの無形文化遺産への登録。この素晴らしい節目をゴールやピークにせずに未来に伝承していくために、そのような定義へと転換させる最初の年にするべきだと思いました。
Q2.
今までの出会いのなかで
最も感銘を受けた人は誰ですか?

秋田県横手市で「天の戸」を醸す、浅舞酒造で杜氏を務められていた森谷康市さんです。2019年7月に62歳の若さで両側性急性肺血栓塞栓症により亡くなられてしまったのですが、実は WAKAZE の創業直前にお会いする機会に恵まれました。WAKAZEの代表を務める稲川のご両親と森谷杜氏は知り合いで稲川と僕を紹介してくれました。お話をきかせてもらうために秋田県横手市を訪ねたのですが、森谷杜氏の醸造に対する豊富な知識や懐の深さに触れて感銘を受けたことは忘れられません。ひとつのエピソードとして、森谷杜氏の著書『夏田冬蔵-新米杜氏の酒造り日記』の第一章が「酒屋若勢になる」から始まっており、「酒屋若勢(さかやわかぜ)」という言葉は山形県や秋田県では酒蔵の「若い衆」というような意味で、そこから「株式会社 WAKAZE」と命名することにしました。森谷杜氏からは多大な影響を受けていて、本当に若者の挑戦を受け入れてくれる柔らかい発想を持たれた方でした。今でも最初に訪問した際に言われたことが強く印象に残っており、「私はすべてを話す」「あなたは何をしてくれますか?」と言われた後に少しだけニヤッと笑みを浮かべられる姿が記憶に残っています。今の自分では何も返すことはできないと実力不足を痛感したのですが、それと同時に将来は成長を遂げて何か恩返しができたらと決意を力に変えることができました。そして、自分も森谷杜氏のようなカッコいい造り手になりたいという気持ちになったことで、僕は造り手になることを誓いました。森谷杜氏が成し遂げられたことも「一麹、二酛、三造り」に紐づいてくるのですが、ちなみに森谷杜氏はいち早く白麹や黒麹を酒造りに導入された人です。森谷杜氏の黄麹以外での製麹技術の着想は、九州の焼酎蔵との友情がきっかけだったようです。鹿児島県鹿屋市に酒蔵を構える大海酒造の大牟禮良行杜氏と森谷杜氏が交流を重ねられていくなかで、焼酎の麹には白麹や黒麹を使っているのだから日本酒の麹にも白麹を使うことで、今までにない魅力的な味わいの日本酒を生み出せるのではないかという仮説が浮かんできたようです。ただ、当時は酒蔵の心臓部である麹室で白麹などを使用した前例などあるはずもなく、コンタミネーション(混入や汚染)を恐れて挑戦は憚られていました。そこで森谷杜氏はリスク回避のために何を行ったのかというと、コタツで白麹を用いた製麹を試したそうです。そして、白麹を用いた酒造りが成功したことで、次第に日本酒業界でも白麹や黒麹で酒造りを行う酒蔵が増えていきました。それにより、秋田県秋田市の新政酒造が「白麹」を用いた醸造技法を積極的に導入し、市場の評価を一気に集めました。私は学生時代に新政酒造の代表銘柄のひとつ、白麹仕込純米酒「亜麻猫」を飲む機会があり、クエン酸由来の爽やかな味わいに感動したことを鮮明に覚えておりました。それを辿ると、森谷杜氏の白麹を用いた挑戦的な酒造りが原点にあったことに気付かされました。森谷杜氏の功績によって日本酒業界全体として具体的に何がもたらされたのかというと、「白麹ネイティブの造り手世代」が誕生したことだと思っています。今の若い世代はスマートフォンやインターネットが子供の頃から当たり前で、スマホネイティブや IT ネイティブという概念があるように、白麹ネイティブの世代が杜氏として活躍するようになってからは、僕のように白麹を基礎技術として応用した酒造りがたくさん登場してきました。しかし、僕は森谷杜氏を尊敬しているからこそ、森谷杜氏が突破口を開いた多大な功績に対して、同等レベルの挑戦を残さなければ、最初にお会いした時に伝えられた言葉である「私はすべてを話す」「あなたは何をしてくれますか?」という返事を用意できていないことになります。僕は森谷杜氏が残してくれた高い壁を乗り越えて、次の世代に新しい技術を残すことで恩返しがしたい。だからこそ、僕は誰も着手しなかったボタニカル素材を醪の中に投入することに対しても批判を恐れず 、失敗を恐れずに果敢にチャレンジしました。いつもチャレンジには、さまざまなリスクが伴うのですが、誰かが大きな壁を越えていくことで、「ボタニカルネイティブ」のSAKEというものが新たなトレンドを創造していくことを信じてやみません。また、三軒茶屋醸造所で黒茶酛に挑戦した理由についても、壁を突破して当たり前となった次の技術や世界観というものを森谷杜氏に報告したいと思っていました。たまたま、森谷杜氏が三軒茶屋醸造所にお越しになられたことがあって、ちょうど黒茶酛でのSAKE造りを行っていたので細かく工程について説明をすると、またニヤッと優しい笑みを浮かべてくれたことが嬉しかったです。それが忘れられなくて。WAKAZEの杜氏として渡仏することが決まっていたので完成したSAKEを飲んでもらいたかったのですが、僕がフランスに行く直前に森谷杜氏は亡くなられてしまったので飲んでもらうことは叶いませんでした。本当に残念でなりません。森谷杜氏が焼酎蔵との友情から着想を得て白麹での酒造りを実現したように、自分もフランスから帰国して最初に焼酎蔵を巡ったときは森谷杜氏を思い出し、自分自身と重ね合わせながら、自分の歩むべき道である異素材での麹のインスピレーションを人と人との繋がりの中で探していました。森谷杜氏の功績を次の世代に伝え、自分自身も森谷杜氏の偉大さを再認識するためにも、森谷杜氏の突破した白麹や黒麹での製麹と、僕の異素材での製麹を融合させたものを今後のSAKE造りで表現していけたらと考えています。
Q3.
これまでの人生で
最大の失敗と成功についてお聞かせください。

まず 、サラッと成功についてお話させていただくと、僕自身がボタニカル素材に初めて出合った瞬間が、ひとつの成功として繋がっているような気がしております。僕の修行経験は、最初は新政酒造での2年間、続いて桝田酒造店・阿部酒造・聖酒造で1年間で様々なことを吸収させていただきました。秋田と富山の間の夏には「湘南ビール」を製造する熊澤酒造に研修に行かせてもらいました。そこで、初日の作業は何を任せてもらえるのか楽しみにしていると、蔵人から外に出てくださいと言われて、すごく天気の良い夏の日に外で大きなタライに水を張って、ここで地域の方々と一緒にレモングラスを洗ってくださいという指示を受けました。酒蔵の外で仕事をしたことがなかったので、いきなりの指示に面食らいました。今までの僕は酒造りの仕事は酒蔵の中だけで行われるものだと思っていたので、蔵人が外に出て素材に触れるということが何て自由で幸福な製造現場なのだと感心しました。それに気が付けたことは今後の人生にとって非常に大きかったように思います。はじめて副原料という素材に触れてから、副原料に対して関心を持つようになりました。そのあとにボタニカルSAKE「FONIA」が生まれています。そこでひとつの壁を突破していて、熊澤酒造での経験があったからこそ、クラフトサケの世界へとスムーズに移行することができました。失敗に関しては多すぎて、どの切り口から話をしようかと非常に悩みました。ひとつだけということなので直近の最大の失敗について回答すると、昨年に淡路島で栗麹の SAKE 造りに初めて挑戦しました。今までの人生のなかで最も高額な素材(京丹波栗)を使用し、熱源が薪柴だけというような究極な環境の酒蔵「Sake Underground」をお借りしてクラフトサケを造らせてもらいました。栗を用いた製麹の作業は2回に分けて行ったのですが、前半の最初は凄く良い香りがしており、グルメ雑誌「dancyu(ダンチュウ)」の取材を受けている最中は順調に発酵が進んでいて安心していたのですが、途中で事態が急変しました。悪い菌が京丹波栗に増殖したことで最初の栗麹を全滅させてしまいました。解決の糸口が見えずに酷く落ち込んでしまいました。とりあえず気分を変えようと、酒蔵の周辺を散歩していたら、酒蔵から徒歩10分くらいの場所に古事記にも登場する国生みの聖地「おのころ島神社」を発見しました。神社の境内には御本殿のほかに小さな社「摂社」などを見かけることがあると思うのですが、そこに入ると「八百萬(やおよろず)神社」という名前の神社があったのです。その時に感極まって大粒の涙が溢れてしまいました。僕は八百萬を酒にして米だけが主役の世界観ではなく、五穀豊穣を目指して神に捧げる酒に値するように、ひとつひとつの素材と向き合っていくと心に誓っていたこともあり、今回は京丹波栗を全滅させてしまったので自信を失いかけていたのですが、「八百萬神社」と出会えたことで諦めずに挑戦しなさいと励ましを受けている感覚に立ち直ることができました。そして、失敗を糧としながら今年も「栗麹」のSAKEをリリースすることが出来たことを非常に嬉しく思っています。
Q4.
クラフトサケの業界から日本酒業界を
眺めていて不思議に思うことはありますか?

まずは誤解のないように前提から話をすると、僕は群馬県渋川市の聖酒造の息子として生まれて、一方でクラフトサケの業界を盛り上げ、その両方を知っているからこそ言えることなのですが、酒蔵は米と米麹が本当に優れたものであるということを完全には理解できていないようにも思います。あらためて米と米麹が本当に素晴らしいということに気が付いてほしいです。日本酒は米という素材だけで、ここまでの多様性が生まれたということは奇跡的なことで、その技術を他の素材に応用していくことで生まれる付加価値の大きさや総量には計り知れないものがあると感じています。江戸時代初期に書かれた日本で代表的な醸造技術書である「童蒙酒造記」。僕は第四巻の序文に書かれている内容が凄く好きで、これによって江戸時代に日本酒は技術や精神性も含めて完成したのかということが分かる内容となっています。その内容について詳しく説明すると、4巻自体は酒造りにおける様々な流派が紹介されており、鴻池流の杜氏が著者なのですが、伊丹流や奈良流などの全国各地の流派についても詳しく記されているのです。その理由については、「まずはやってみて、良いものは取り入れて、悪いものは捨てればよい」。なので、まずはやってみることが何よりも大切なことであるというような内容が童蒙酒造記の第四巻の序文に書かれていました。これを僕が読んだ時には、胡坐をかかずに謙虚で柔軟な姿勢を見習わなければならないと思いました。著者は鴻池流の酒造りに関しては流石に秘伝にしていたのですが、江戸時代の造り手たちも様々な制約のなかで色々と試行錯誤していたと思うのです。各流派の違いなどを拒絶することなく、「まずは受け入れて、試してみて不要であると感じたならば捨てればよい」という柔軟な発想や技術を貪欲に吸収していく姿勢。江戸時代に今日の日本酒の基盤となる技術や精神性を完成させたのかと思いを馳せた時、当時は色々な流派が存在しており、上手に共存していました。その時代背景をなぞらえて現代に置き換えて再考した際に、やはり日本酒や米以外に様々なアルコール飲料や素材が世の中には数多く存在していて、それに日本酒業界は学んでいく必要があると思います。これまでに述べた内容の「ビール」「ボタニカルSAKE」「白麹」などの話題と関連しているのですが、やはり伝統を引き合いに出して制約のなかでしか挑戦しない選択をしているのならば、伝統が如何にして築かれたのか理解を深める必要があります。童蒙酒造記の著者が自分のことを「童蒙」であると言うくらいなので、もの凄く謙虚で柔軟な発想の持ち主であったことは想像に難くないと思います。現代の造り手たちも謙虚さを忘れずに色々と新しいことを取り入れていくことで、日本酒業界が発展していくと信じています。そのような姿勢こそが、日本酒本来の伝統なのではないかと問いかけたいです。
Q5.
将来の LINNÉ がどのように
なっていたら成功と言えるでしょうか?

時間軸で言うと寿命は超えていくし、人類史とかの話になってくるのですが、SAKE の進化フェーズを「0」「1」「2」「3」と段階別に分けており、「フェーズ3=クロスボタニカル」が当たり前になったら成功と言えるでしょう。SAKEの定義を四象限マトリクスで表現して「縦軸は麹」「横軸が掛」。各軸を米と米以外で分けます。「フェーズ0」はオリジンの清酒で「米麹×掛米」が従来の日本酒であるという定義です。それに対して、「フェーズ1」では米麹は固定しつつも「掛け」の部分で副原料を投入して定義を拡張させることで、多種多様な酒や造り手が生まれます。いわゆるこれがクラフトサケです。それだけでも産業的インパクトがあったと捉えています。しかしながらこれだけでは、せっかく日本に帰国してLINNÉを創業したのにWAKAZEと同じことをしているだけになってしまい、目標とする絵筆を増やして表現の幅を最大化させることには繋がりません。今度の「フェーズ2」では「掛米」は固定しつつも、麹の多様性の変数に着目することで新しい領域を生み出しているのが、現在のLINNÉが取り組んでいることです。なぜ、着実にステップを踏んでいるのかというと、「フェーズ1」と「フェーズ2」の知見をそれぞれ貯めたあとで掛け合わせた先に「フェーズ3」に辿り着くことができるからです。つまり、米を含むすべてのものが自由に麹を媒介し、並行複発酵を経ることで、無限の可能性に満ちた「フェーズ3」のSAKEを誕生させます。そうすると、最初は「フェーズ0」だけであったSAKEは、最終的には「フェーズ0〜3」をすべて合わせた広い定義にまで拡張することができるのです。これが成立した時にLINNÉは成功したと言えるのではないでしょうか。既に大麦だけのSAKEも造っていますが、まだ醸造酒としてはこれからの段階である一方、焼酎は既に「フェーズ3」に到達しています。焼酎も米麹が主流なので「掛麦」「掛芋」などの「フェーズ1」が大多数ではあるのですが、一部の焼酎蔵の偉大な造り手たちが「フェーズ3」の領域を切り拓いていきました。それを醸造酒でも挑戦する必要性を強く感じていたので、九州の焼酎蔵を訪ねていったのです。そして、醸造酒で得た知見を焼酎にも還元していけたらとも構想しています。そうすると、麹の技術や文化が横で繋がって、全体の基盤が向上していくことを願っています。米だけで日本人は2000年の歳月をかけています。これをすべて実現させるに単純計算すると、「2000年×素材数」ということになります。そうすると数万年の話になってくるのですが、それをどのようにして時間を短縮させるのかで言うと、2つの方法があると思っています。1つ目は、米を型にして応用させていくことになれば米の知見が活きます。2つ目は、単独で実践するのではなく大多数で実践していくことで知見が溜まる速度が向上し、結果的に時間を短縮させることができます。そうすることで、1万年以内に圧縮させることができたらと想像を膨らませています。LINNÉは最初の地ならしを行っていきたいと思います。なので、まだまだ先は長いです。
Q6.
自分が酒造りに携わったなかで、
忘れることのできない酒について教えてください。

それは三軒茶屋醸造所の創立1周年記念酒です。ボタニカルSAKE「FONIA」なのですが、選んだ理由については、僕の三軒茶屋醸造所での集大成のSAKEであったからです。創立から1年後には渡仏することが決まっていたので、11年間で学んだことを全てSAKEに込めると意気込んで醸しました。まずは3種類の茶葉を使用して、製法としては「黒茶酛・水出し緑茶仕込み・花茶仕上げ」で酒造りを行いました。何だか呪文のようですね。黒茶酛は前述した内容なのですが、水出し緑茶仕込みは、仕込水が茶というイメージで、最後に花茶は高級ジャスミン茶で仕上げました。まさにドライホッピングのような最後の仕上げです。てんこ盛りの酒造りを行いました。異次元の果実香が出た瞬間は本当に驚きました。最初にボタニカルSAKE「FONIA」を造った時にも、あらたな色彩を入手できたような閃く感覚があったのですが、三軒茶屋醸造所で最後に造った酒は意味が分からないくらいの果実香とクラフトサケの秘める無限の可能性に胸が高鳴りました。今でも自分の中で、これを超える酒は造れているのかと高いベンチマークになっているくらいです。三軒茶屋醸造所の創立1周年記念酒は3種類の茶葉だけでなく、3種類の米も使用しており、吟醸磨きの酒米(精米歩合50%)と山形県の食用米(精米歩合70%)、フランスのカマルグ米(精米歩合90%)の原料米を上手に掛け合わせて、すべてを込めてという気持ちで造りました。
Q7.
自分の性格を
一言で例えると?

これは凄く悩んで導き出した答えは「触媒」です。触媒とは、自分自身は反応の前後でほとんど消費・変化せずに、特定の化学反応の速度を大きく変化させる物質のことです。
Q8.
クラフトサケを通して
解決していきたい社会課題はありますか?

一言でいうと「米の互換性」による、「守り」と「攻め」の両面を意識する必要性があると感じています。まず守りに関して言うと、直近では「令和の米騒動」が起きましたが、気候変動の問題によって中長期で米不足が続くことは大いに考えられる社会課題です。そうなると酒蔵は原料となる米を仕入れることが難しくなってしまい潰れていくしかありません。実際にここ数年で酒蔵の数はさらに少なくなっています。ただ、米以外の原料でも美味しいSAKEが造れるという技術を有していれば酒蔵も辞めずに続けていく道を残すことができます。米不足に対して救荒作物といわれた稗や蕎麦、麦などの素材を原料として代用していくことで、これからも日本酒の伝統を柔らかく繋いでいき背中から支えていくための手掛かりになるのではないかと考えております。その可能性がクラフトサケにはありますし、僕が LINNÉ で「異素材の麹」に挑戦する理由に繋がってきます。僕がカリフォルニアで酒造りをしていた時も乾燥や水不足によって山火事が発生していて、そのことについて真剣に考えていくと、水田に依存している酒造りは持続可能なのかと心配になりました。住民の人々が水不足で困窮している時に水田に水を張って米を育てて、水田はメタンガスを排出することで環境問題への影響も指摘があり、さらには収穫した米からアルコールを造って、わざわざ体に害すらあるものを造る行為が、果たして社会的に許されるのかと。別にアルコール飲料を飲まなくても死ぬことはないですし、何ならアルコール飲料に対して害悪があるという自覚を造り手の責任として持つべきだとも思っています。だからこそ、社会から必要とされる道筋の中で、お酒を造らなくてはいけないのです。今まで脈々と受け継がれてきた日本酒の伝統文化や技術が、米不足で途絶えてしまうことは避けたい。そのリスクを分散させることが米以外の素材で酒造りを行うことだと考えています。今から技術を拡張しておくことで、いざという時に備えられると信じています。もともと、その頭で自分は動いていたので、「米騒動」が沸き起こった時は想定より早く起こってしまったと切羽詰まった今の現状を分析していました。さまざまな研究開発が未来を守ろうとしていますが、LINNÉの異素材麹の技術もそのセーフティネットを担う選択肢の一つになれたらと考えています。次に攻めの話をすると、稲作が行われていない地域でも SAKE が造れるようになることで、造り手や素材の多様性が解放されていきます。やはり米に依存しないという互換性があることは最大の利点と言えそうです。僕がフランス・パリやアメリカ・カリフォルニアで酒造りを行っていた際には、たまたまフランス産米やカルローズ米が入手できていたので酒造りを行えていました。むこうは米が主食ではなく、サラダのような感覚で食べられているので、米はマイナーな立ち位置のものでした。それであれば、地域で愛されている身近な主要素材でSAKEを造るほうが、実は地酒となるための王道なのではないかと感じました。なのでもう一度、僕がフランスに行ってSAKEを造ることになっても恐らく米だけの SAKE は造らないかと思います。フランスには麦もあるし、蕎麦もあるからです。蕎麦のガレットはフランスの郷土料理としても有名で、蕎麦でSAKEを造りましたと言ったほうが身近に感じてもらえるはずです。また、地域軸だけでなく時間軸にも拡張が進んでいきます。蕎麦は乾燥に強く、日本人にとっても身近な存在として縄文時代から 9000 年以上も前から栽培されてきました。日本人が水稲栽培を始めた歴史は弥生時代からで、2000 年から 3000 年前ということを考えると、日本人と蕎麦は3倍以上の付き合いがあるのです。弥生時代の技術を縄文時代の素材などで1万年単位の時間軸で応用していくと色々なことができるという感覚になっています。あらゆる地域であらゆる素材で最大化されたSAKEを造れて、世界で地酒が誕生したときに「世界酒」になるのではないかと思っています。さらに、アルコールを離れた俯瞰した観点からいえば、「植物性素材」の付加価値を上げる発酵技術として、世界への貢献の道があると考えています。今、世界的に肉食需要が高まっていることから、肉牛を育てるための餌として、大量のトウモロコシ畑をつくる必要性がでてきます。そこでジャングルを伐採してトウモロコシを育て、牛にトウモロコシを餌として与え肉を生産することで、大量のメタンガスが発生します。人が肉を食べ過ぎてしまうことで肥満が増えてしまうという健康問題も起きてきます。その問題とSAKEを製造することは構造が似ているような気がするのはいいすぎでしょうか。つまり、人間が食べればよいはずの米を、わざわざ微生物に食べさせることで影響は軽微かもしれないが温暖化ガスを発生させ、水田からもメタンガスが発生します。そうして完成したSAKEは果たして人体の健康や社会にとって良いものなのか、その問いも尽きません。このままではSAKEは人類の足を引っ張る存在として認識されたままになってしまいます。そうではなく、どのようにしたら人類に貢献することが出来るかということを考えたときに、これから人々が肉食偏重から離れていくことを想定した場合、植物性の素材の付加価値をどのようにして高めていくのかが生活を豊かにする上で重要になってくるのではないかと感じております。イメージとしては「調理技術としての発酵」です。日本人が米の発酵で培ってきた価値観と、植物素材の価値増幅技術としての発酵を万物に応用させていくことで社会に貢献していきたいです。SAKEはその一形態として、素材の価値の高みを追い求めます。そこまで向き合って、ようやく人類や地球へのマイナスをプラスでつり合わせ、未来の貢献に向かう態勢が整うという認識です。
Q9.
10年後の日本酒業界がどのような変貌を
遂げていることに期待したいですか?

減り続ける造り手の数の「純増」です。今の日本酒業界は減る理由があまりにも多すぎると思っていて、増える理由をつくっていけたらと思っています。SAKE に関連する素材の互換性や再定義や拡張などが該当するのですが、どうすると造り手が増えるのか考えてみたときに造り手はいろいろなグラデーション(段階)があると感じていて、最初は家庭醸造(ガレージ・ブリューイング)があり、次の段階に今の自分や WAKAZE の初期段階で実行したファントムブリュワリー、その先で信頼や実績が生まれ投資するだけの資金が集まることからマイクロブリュワリーを建てて成長していけるのが理想的です。クラフトビールなどは造り手のエコシステムが機能しています。ガレージから始まって、ファントムブリュワリーで商品を生み出し、マイクロブリュワリーを興すというようなサイクルがあります。今の日本は家庭醸造が禁止されていて、マイクロブルワリーも酒造免許で縛られているのが現状です。最初(家庭醸造)と3段目のマイクロブリュワリー(小さな酒蔵)が規制の対象になっていては、階段を昇って成長していくことは難しいです。このことからも日本では中間にあるファントムブリュワリーの重要性が増しています。実際に僕もたくさんの酒蔵の設備を借りながら WAKAZE や LINNÉ として酒造りをさせてもらうことで成長できました。今までは酒蔵を借りる側だったので、今度は酒蔵を貸す側になりたいという想いから、2027年春に清水焼の登り窯があった場所である五条坂をシェア型の酒蔵にしようと考えています。本質的にはガレージブリューイングの解禁や新規酒造免許の交付への議論などが必要だと思っているのですが、この部分は制度や政治環境など他力本願な部分も多いので、当面はファントムブリュワリーで頑張っていくしかないとは思います。国内のみならず 、海外含めた世界のSAKEの造り手純増を目指します。できることはたくさんあります。フランスには参考にしたい制度があり、生涯学習概念のひとつである職業訓練制度「コンパニョナージュ制度」がユネスコの無形文化遺産に登録されています。これは、職人が旅(ツールド・フランス)をしながらアトリエを渡り歩き、一人前になることを支援する制度で、中世の時代から今日まで続いてきたそうです。僕自身の経験からも言えることなのですが、修行先や委託先の酒蔵でかけがえのない経験をさせてもらったことが大きかったです。なんなら日仏で酒蔵を立ち上げて、日本に戻ってからも九州の焼酎蔵や東北の「haccoba」、北陸の「阿部酒造」、九州の「LIBROM」、淡路島の「Sake Underground」を旅しながら、さまざまな酒蔵を見ることで自分のなかでの型が形成されていって成長できたことに感謝しています。清水焼の登り窯があった場所に新しく建てる酒蔵も解放しますが、今の時代は同様の志をもった学べる場所も増えているので、旅という横軸で蔵と蔵を繋いで行き来を増やしていきながら、ネットワークのなかで人材を育てていくのが理想的だと思います。
文:宍戸涼太郎
写真:茶畑七月
編集:宍戸涼太郎
